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トミコの赤い部屋 ①

花園のタコになりたいというのが、幼い頃からのトミコの夢だった。


タコは海でなく、花園で生きたほうが、ぜったいに似合う。きらきらしたヒトデやタツノオトシゴなんかを引き連れ、八本のアシをぬめぬめと躍らせて、パステルカラーや極彩色の花と戯れる。それこそがタコの幸せ。


磯の香に包まれるよりも、花の香に満たされた方がカラダは断然柔らかくなるはずだと、花園のタコを愛する幼いトミコは、母親のバラの香水をまとい、柔軟体操をするのが日課だった。


 幼稚園のお絵描きの時間には、花園で舞うタコの姿をよく描いた。その度に先生は「おトミちゃん、タコさんのおうちは、お花畑でなく海ですよ~」と優しく教えてくれたけれど、トミコは決して海に生きるタコを描いたりはしなかった。

トミコの家のリビングには、そうしたタコの絵がたくさん飾られていて、つまり彼女の両親は、タコが花園で生きることを許容していた。
成長するにつれ、トミコは絵の中で大人たちの既成概念をことごとく破壊した。


虎が空を飛び、象は地中深くで眠った。水辺で休む片足の青いフラミンゴ。バターになってしまった犬。逆さに育つ椰子の木。忠実な猫。いきり立たないヤカン。母乳が染み出す老婆。


トミコの絵の中では、あらゆるものが自由だった。けれども実際のトミコは社会の中で羽のない鳥のごとく不自由さを感じていた。


日々の柔軟体操のおかげか、肉体はタコのごとく柔らかで、四方八方に自由に動かせるものだから、サーカスからの誘いはたくさんあったが、同じ年頃の子供たちからの遊びの誘いは皆無だった。

そもそもトミコには友達などいなかったし、欲しいとも思ったことはなかったが、彼女の両親にしてみれば、花園で生きるタコを許容するものの、いつも一人ぼっちでいる娘の姿を見るのは忍びなかった。


彼らは娘に友達ができることを願い、折に触れてトミコを同世代の子供が集まりそうな場所へ連れていった。しかしすべては徒労に終わった。


近所の神社で行われた夏祭りでは、トミコはタコ焼き屋のタコを救出しようと、無銭にてタコ焼きを奪い、神社の裏にある杜の中に解放した。花はなくても、草木があれば少しでもタコが喜ぶと、トミコは思ったからだった。


水族館の水槽に張りついているタコを見つけた時には、拳を突き上げ、タコの解放を求めて、油性マジックで水槽のガラスに花園を描いた。


ただ、砂浜で空に舞うタコを見た時だけは、トミコはタコ揚げをしている子供に自ら声を掛け、自分にもタコを揚げさせてほしいと頼んだ。その様子を見ていた両親は喜んだ。

ほら、トミコだって他の子供と遊べるんだ、彼らはそう思った。刹那、彼女は借りたばかりのタコ糸を手から離した。


タコの解放。


空を自由に舞うタコを仰ぎ見たトミコは、タコと一緒にイカの解放まで成し遂げた気になり、満足そうな顔をした。

こうしたトミコによるタコの解放運動を目の当たりにした両親は、脳内をタコのごとく柔らかくし、あるがままのトミコを受け入れた。


そうしてトミコは十八になった。


その頃、トミコは願い通り、花園のタコになっていた。長く柔らかな四肢と自由自在な関節そして美しい顔を合わせ持つトミコは、本来の四肢そっくりに作られた義肢をも意のままに操り、寺社のお祭りや縁日で開かれる見世物小屋で、タコ娘として生きていた。


売られたわけでも騙されたわけでもなく、トミコは自ら見世物小屋の門戸(もんこ)を叩いた。


花園のごとく周囲に匂い立つ花々を敷き詰めて、大きなフリルの襟を首にまき、大小様々な吸盤をつけた八本のアシを、上げたり下げたりする姿は幻想的で、トミコはたちまち人気を博した。トミコの姿を一目見ようと、方々から人々が詰め掛けた。


八本のアシを自在に操り、髪をかきあげるだけで、観客は感嘆の声をあげた。彼らは、入場料とは別に、千円払えばトミコのアシと握手することもできた。トミコのアシと握手をした客は、手のひらに残ったトミコのぬめりを嗅いだり舐めたりした。香りも味もバラのようだと彼らは口々にいった。


やがて見世物小屋では彼女の肖像写真が販売されるようになった。

『花を持つトミコ』『藁をつかむトミコ』『トミコ開脚』『お料理トミコ』とにかくどの種類の写真でも、持っているだけ、見ているだけで、カラダがみるみる柔らかくなるとの評判で、蛸娘トミコの肖像写真は飛ぶように売れた。

そんなトミコに肖ろう(あやか)と、熊女や河童女に蛇女までもが、『増毛叶う』『河童の川流れ』『脱皮必須』など各々の謳い文句に自身の写真を販売した。

トミコを前に舞い上がった人々が、そんな写真をうっかり買ってしまうことも多く、売れ行きは悪くなかった。見世物小屋全体に利益をもたらしたトミコは、古参(こさん)の者から妬まれることもなかったが、やはり周囲への無関心は幼い頃のままで、友達と呼べる人間はいなかった。


ある雑誌のインタヴューの中で、トミコはこう答えている。


「わたしは花に囲まれて、タコ娘として生きることに喜びを感じています。正直、友達が欲しいとか、人気者になりたいとか、お金を稼ぎたいという欲はまったくないのです」


 無欲なトミコはますます人気者になっていった。世界中の花園で撮影した写真集が出た。スターたちと一緒に映画にも出演した。トミコの名言を集めた本も刊行された。

名は体(たい)を表すで、トミコは若くしてトミを得た。いつでも見世物小屋での仕事をやめ、お気に入りの花園でタコとして生きることが可能だった。しかしながら、トミコは見世物小屋をやめなかった。脅されたのでも懇願されたのでもなく、ただ自らの意思で見世物小屋での仕事を続けた。

(続く)


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