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隣の女

隣の家の芝生は、のびのびと、そして青々と育っていて、刈り揃えられることもなく、また虫が寄り付かないよう薬をまかれることもなく、

かといって自ら老いて枯れることもない不老(ふろう)不死(ふし)の芝で、その上で寝転がっている女は、布を節約して作った水着を着て、太陽を浪費して、皮膚をこがし、

つまりは節約と浪費の波乗りを楽しむ女で、女には、彼女の浪費を支える夫がいて、この夫は女とは正反対に、ふんだんに布を使った服を着た身なりのよい男であり、

恰幅のよいその姿は、布の袋の大好きな神様によく似ているので、彼の姿を見掛けると、思わず手を合わせて拝みたくなってしまうのは、おそらくわたしだけではないはずで、

拝んだ後には、つい、小銭を投げ入れてしまうため、隣の家の芝生の上には、いつも小銭が輝いていて、隣人はさらに潤い、そうした小銭を拾い集めるのは、隣の女の子供たちで、

夫婦が節約と浪費を繰り返して生み出したその子供たちは、数えてみると8人いて、横にしてみれば無限のループで、すなわち今後も彼らの子供は増え続けるのだろうと予感し、

繁栄の一途をたどるこの隣人の住む家は、赤いとんがり屋根を持つ家で、屋根から突き出たレンガ造りの煙突からは、女の家を暖める代償として、灰色の煙が噴き出し、わたしの家の白壁を汚すので、

頭にきたわたしは、煙突掃除婦として、あるいはサンタクロー婦として、ちむちむにーちむちむにーと、屋根づたいに煙突からの侵入をはかろうとするも上手くいかず、悶々として日々を過ごすうちに、

ある日、わたしの玄関扉をノックする者がおり、扉を開けると目の前には、かのおんなが立っていて、

女はその時、珍しく服を着ていて「子供たちに本を読んでくださらない?」と唐突に頼んできたので、この思いもよらない展開により、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしているはずのわたしに、

女はもう一度「子供たちに本を読んでくださらない?」と迫り、こちらの腕を引っ張り、

するとわたしのカラダは暗示にかかったみたいに動きはじめ、隣家との境界線の役割を果たしている白の柵を飛び越え、ついに隣の芝生の上に足を踏み入れたのであり、

そこは女の庭から見たならば、隣家となるわたしの家から見ていた庭と、寸分たがわぬ芝生の庭となっていて、それでは仰せの通り、女の子供たちに本を読んで聞かせようと、読むべき本を探してみるが、そんな本はどこにもなく、

それなのに女の8人の子供たちは、わたしを取り囲み、甘ったるいイチゴキャンディーの匂いを放ちながら、じりじりと詰めよってくるので、わたしは焦り、助けを求めるように女を見遣ると、

女はせっかく着ていた服を脱ぎ捨てて、お馴染みの水着姿で、芝生の上に寝転がっており、本を用意する気など、さらさらなく、その間にも子供たちの甘い息が徐々に近づいてくるので、逃げ出したくなり、「さようなら」と背を向けた刹那、

「本ならここよ」と女の声が聞こえ、振り返ってみたならば、女は自らのカラダを指し示し、もう片方の手で手招きし、すると、またもやわたしのカラダは女の誘いに素直に応じ、わたしは横たわる女の傍らに座り、促されるままに、そのカラダを読み取り読み解きはじめ、

途中で迷子にならぬよう文字を指でなぞることを忘れずに、女の腕や渓流を思わせる背中、ふくよかな臀部、そして創造(そうぞう)主(しゅ)を宿らせている腹部を旅し、ついにはおしまいの文字が書かれた女のへそに辿り着き、その文字を音に変えつつ指で押すと、

へその内側から銀色の小銭が一枚、姿を現し、それを手にしたわたしは、おしまいの文字をまだ貪欲に味わっていて、そうしながらその小銭を女のへそに再び押し込んでみたならば、

それは女の内部へと消えていき、同時に口にしていたおしまいの『ん』の音が、はじまりへと変わり、いうなれば、隣の家の女は、そういう女でありました。

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