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家族がいるとき家は泣く場所ではなかった

幼い頃に親が放つ
「コトバ」は意外に
深いところで堤防をつくる。

それは我が子を守ることもあるし
人生の扉を閉ざす鍵にもなる。

自力で生命を繋ぐことが
まだ難しい段階で
自分の命の要な部分を
任せるしかない存在。

それが親。
または親にあたる人。

幼い私が泣いているとき
「泣くな」と母が言った。
理由は覚えていない。

泣きたくても泣けない彼女は
たぶん理不尽なことで
わんわん泣いている我が子の姿が
羨ましかったのかもしれない。

どうでもいいくだらないことで
彼女も涙を流したかったのだろう。

甘える相手が不在の家庭で育ち
留守が多い結婚相手。
なにが起きても誰かに頼って
泣ける場がない人生を
送ってきた母らしい言葉。

大人になった今なら
そんな風に俯瞰視点で
ながめることができる。

その頃私が物理的に
行動できる世界は狭かった。

そうか。
ここは私が泣く場ではないのか。

家族というグループの中で
私は泣かない人間になった。
結婚しても本当の涙は
ひとりでしか流せなかった。

他のメンバーがいるとき
家は泣く場所ではない。

それは今も変わらない。

けれども私の涙をただ
見守ってくれる人はいる。

苦しいときに
弱音をはける場がある。
不安をそのまま言葉に
出してもいい相手がいる。

同意も慰めもいらない。
ただ自分がなにかを
考えすぎていたり
心配しすぎて
軸がぶれているときに
何を言っても「評価」をしない人。
「判断」をくださない人。

ひとりで書き出すノートに
とても似ている。

誰かに見せるためではなく
読んでもらうためでもなく
認めてもらうためでもなく

ただこぼれるコトバ。

相変わらず家族がいるとき
私は泣かない。

それが今の私をつくっている
ひとつの要素でもある。
まるごとひっくるめて
私は自分が好きだ。

変わりたいと思わない。
変わらなくちゃとも思わない。

そのまま生きていたら
そのままの自分でいられる
場と関係が現実になった。

ベビーシッターアルバイト先の
リビングの壁にこう書いてあった。

「ひとりで描く夢は
 たんなる夢かもしれない。
 ふたりで描きはじめると
 夢は現実になる」

自分自身の中に
パワースポットのような「家」が
できあがると自然に
それをサポートしてくれる
場が作られていく。

その時にふさわしい
人物も仕事も贈り物も現れる。

ふと気がつくと
描いていた理想の場で
夢のような暮らしをしている。

秋の気配の濃い早朝。
針仕事へ行ってきます。
素敵な1日をお過ごしください。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2022.8.30 転載)

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