思考回路をことばにするのは難しい
少し前まで、苦手だったことがある。
自分が今考えていることを整理して相手に伝えることだ。
少し前まで、なんて強がったけど、今でもきっと苦手だ。
ものごとを感覚値で決めることが多くて
欲しいもの、やりたいこと、嫌なもの、避けているもの
そのどれもが私は説明しづらい。
元の原因や要因まで遡るのが苦手らしい。
きちんと体系だった説明ができないことに悔しいという気持ちが常にある。
昨日、とある資料をつくっていて、
「なぜそうなるのか」肌感覚で書いていた部分にしっかり根拠を示そうと苦戦していた。
私の知らない分野を、得意な方に相談して、教えてもらっているときに言われたとある一言が心に響いた。
「世界のクリエイティブカンパニーは感覚を全て数値化しているから成功してるんだよ」
私に足りないのはそこかあ。とハッとした。
世界で成功したいと高らかに思っているわけじゃない
でも感覚値で説明されて「んー。なるほどねえ。でも根拠が薄いよねえ」と言われるようなマーケターには絶対絶対絶対なりたくない。
以前までは、自分が何に悩んでいるのか、とか自分はなぜそう考えたのか、という思考回路を紐解いて説明することが本当にできなかった。
「誰かに相談しなね」ってみんな言う。でもこの説明、どうやってすればいいんだろう。ってずっとぐるぐると悩んでいる時期も長かった。
少し大人になって、「大人の事情」の中身が理解できるようになってきたころ。なるほど、じゃあそれは「大人の事情」で口を閉じなければいけないんだな、と気付いてからもなかなかの思考停止っぷりだった。
最近ようやく
なぜそう思うのか
その根拠はどんなところにあるのか
そして何をしたいのか、しなければいけないのか
までをセットで考えられるようになってきた。
誰かに説明するときはこの3つのどれかが抜けていると根本的なところが伝わらないことにも気付いた。
思考回路を紐解いて言葉にするには
たくさんの根拠(事実)の引き出しをもつ。この事象にどの根拠をつけると説得できるか、という根拠への理解と事象の把握。それから自分の気持ちがどこにあるのか、という内省が必要なんだな、と考えた日だった。
でも、たまには、
難しいことはぜーんぶ忘れて、
本能のままに直感のままに「私の気持ち」を優先させてあげることも忘れずに、生きることを難しくしないように、と思っている。
仕事に必要なことと、
私は幸せに暮らすためのすべは、きっとほんの少し、違うところもあるはずだ。