見出し画像

【11月22日】

難病の闘病を終えた母。
母の呼吸が止まったことを看護師さんを呼んで確認してもらう。
やはり、呼吸は止まっているようだった。

これから訪問医を呼んで、死亡診断をしてもらう。先生の到着までに1時間。診断を受けてから葬祭業者に連絡して母の移送をお願いする。来てもらうまでにさらに1時間かかる。

真夜中だったので、夫には電話だけいれ、死亡確認の立会いは私と妹だけですることにした。
悲しみや寂しさなどの感情がないとは言わないが、もう変わり果てた母の姿を見なくてもいい、母の病状のことで電話を気にしなくてもいい、というある意味ほっとしたような感情が広がっていた。


待ち時間の2時間は、妹とだらだらと葬儀のことなどを話し、荷物をまとめた。母が亡くなったという重い事実を言葉にして語らなくとも分かち合える、妹の存在がありがたかった。

妹とは特に仲が良いわけでも悪いわけでもない。多分、父や母のサポートのことがなければ、車で10分の場所に住んでいながら言葉を交わすことがほとんどなかったかもしれない。両親のサポートを通じて会話が生まれ、一緒に悩み、2人で行動する時間もあった。

この時間は両親からのプレゼントなのかもしれないなぁ、とも思えた。


先生も葬祭業者も時間通りにやってきた。
まだ外は真っ暗。お迎えの車に母を乗せたのを見届け、私たちも車で葬祭会館に向かった。

死亡診断をしてもらうときも、車に乗った母に深々とお辞儀をするスタッフさん方を見ても、特段感情がわかなかった。私は感情を味わうのがあまり得意ではない、さらりと流してしまったり、なかったことにしてしまう癖があるよな…と思っていたが、葬祭会館に着いて母にお線香をあげるように促されたとき、
「ああ、母はもうこちら側の人間ではないんだな」と思った途端に涙が流れた。

つい数時間前まで息をして同じ「とき」を過ごしていたのに、母の時間は止まってしまったのだ。そう思ったら無性に寂しくなった。

あんなに母のことを好きではなかったのになぁ。

ちょっとした打合せをした後、葬儀打合せの時間を決める電話が朝9時にくることを確認し、帰路についた。

家に着いたのは朝方の4時半ごろ。
さすがにクタクタである。そしてめちゃくちゃお腹が空いていた。

あたたかいものを食べたくてカップ麺をすすり(これが後ほど仇となる)、娘たちの弁当のしたくは夫に丸投げし、とりあえずベッドに入ったのだった。

いいなと思ったら応援しよう!