”部活あるある問題”を、カードで聴く①
先週から、学校では新学期が始まった。
学校が大好きな我が家の2人の娘も気持ちを新たにして通い始めたが、新学期早々、次女が不機嫌そうに帰宅した。
聞いてみると、部活で仲間割れが生じてしまったらしい。
次女は部活命、卓球大好き少女である。
力のある子は小学生のうちから習い事やスポーツクラブで卓球をしているのに比べ、次女は何も知らずに中学の部活から始めた。
しかし、何が彼女をとりこにさせたのか分からないが順調に力をつけ、勝てる喜びや楽しさを味わえるようになった。そのため部活以外でも自主練と称して友達と近くの体育館や市民センターで練習に打ち込むようになり、2ヶ月前からはクラブチームにも入り、「熱中」という言葉がピタッとハマるような生活ぶりである。
それが、春休みが明けていよいよ最後の中総体に向けて始動!というその初日、ガッツリ頑張りたい子たちと気軽に卓球を楽しみたい子たちの間で亀裂が入ってしまったというのだ。
この問題は、結構”あるある”ではないだろうか。少なくともアラフィフの私が中学生・高校生の頃も、この問題は存在していた。私もそれに巻き込まれ、うんざりするような話し合いを重ねた記憶が今でも残っている。
次女の部活では、”ガッツリ系”の子は少数派。多くは気軽にやりたい系である。話合いでは、その”気軽に系”の子たちに負けてしまい、練習は力を抜いてやることに決まったのだそう。。。
夕飯を食べ終わりクラブチームの練習に行くまでの15分で、次女にカードを渡し、話を聴いた。
私からの問いは、
「今、どんな気持ちなの?」と
「本当は欲しいものがあると思うんだけれど、それはなんだろう?」の2つだ。
カードがあると、感情を表す語彙を持ち合わせていなくても、そこから選ぶことができる。これもありそうだ、やっぱりこれはないかな…。考えたり、グループ分けをしたりしながら、次女は手際良くカードを選び並べて、そのカードを選んだ理由を説明する。
本当に欲しいもの。
それはNVCでいうところの”ニーズ”。
彼女は、卓球をやりきりたかった。
新人戦で地区団体戦では優勝。県でもベスト8まで進んだ。
それなのに、なぜ気軽にやりたいなんて思うのだろう。
彼女の”本物さ”を追求したい気持ちが言葉から溢れ、嘆きに嘆いていた。
嘆ききったところで次女は練習に出掛けて行ったので、
私はその残されたカードを見てしばし想像してみた。
多分、この本物さを追求したいのは誰とでも良いわけではないんだろうな、と思う。苦楽を共にした仲間と共に、どんな結果であれろうと最後まで走り切りたかったのではなかろうか。
例えばの話、2ヶ月前から入ったクラブチームの仲間と一緒に大会に出て優勝した場合、”本物さ”は満たされるかもしれないが、”よろこび”で満たされるのか、と言われると微妙な気がする。
彼女は、2年間一緒に過ごしてきた仲間と、最後の試合を闘いたかったのではないだろうか。
翌朝、私は次女に1枚のカードを見せた。
彼女はニヤッとした表情を浮かべながら、こう言った。
「そうなんだけど、それはそれで、面倒なんだよー。」
続けて、
「でもさー。本当にムカついてるのは、顧問の先生に対してなんだよ。」
と言い残して、出掛けていった。
(つづく)