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踊り巡ってきた時間 #01 (幼少〜高校生 地元編)

こんにちは、磯島未来です。ダンスの振付や舞台作品・パフォーマンスの演出にワークショップファシリテーター、そして自分で踊ったりしています。
振り返ってみると踊りに携わってずいぶん長い年月が経っていました。今回わたしが踊り始めてからの話を数回に分けて記していきます。
少し長くなりますがお付き合いくださったら嬉しいです。

楽しく踊る幼少時代

青森県八戸市で生まれ育ったわたしが踊り始めたきっかけは通っていた保育園に先生が教えに来ていたから。日本で通称「モダンバレエ」と呼ばれるもの(学術的にモダンダンスと呼ぶことを後々に知る)を習い始めました。
5歳になる年中さんから週1回、踊ることが楽しく年1回の発表会で見た大人やお姉さんたちのカッコ良さに惹かれ卒園してからも先生の教室へ通うことに。そこから毎年発表会や地元の合同公演に参加。いろんな曲で踊り、発表会の長編創作では街の子から小鳥、花や鳩に王子様や悪い魔女までいろんな役もやり(あくまで踊りで)さまざまな衣装も着て、他の学校の友だちもたくさんいて、とにかく楽しく通っていました。

初舞台でソロ「月夜の小人さん」5歳
祖母特製の衣装「オルゴール人形」6歳

楽しいだけでなく、茨の道「コンクール」へ出場

そんな楽しく通う踊りの時間に小学生最後の年、大きな転機が訪れます。
もともとカラダが柔らかく身軽であったわたしは脚もそこそこ上げられてひょいひょい踊っていて、前から声を掛けてもらっていた全国舞踊コンクールに小学生最後だし参加してみようかとチャレンジすることに。

そしてこの決断が今後の踊り人生に大きな一石を投じることになるとは、誰が思ったことでしょう。

全国舞踊コンクールとは、毎年春に東京である東京新聞が主催している日本でも老舗の全国規模のコンクールで、クラシックバレエや日舞などいくつか部門がある中でわたしは現代舞踊部門に出場。
実は習っていた八戸の先生の先生が横浜にいて、そこの生徒たちは毎年1位受賞!という凄まじいスタジオとつながりがあったので、ただ出場するだけでなくコンクール前に踊りを見てもらうというスペシャルなオプションが付いてきてしまったのです。。
今振り返れば貴重な時間でしたが当時は「めっちゃ厳しいからね」と事前に先輩たちから聞いていたので、ビビりながら稽古場に行ったら…
それはもうレベル違いの指導!凄まじい厳しさ!笑 そしてスタジオで同じコンクールに出る人たちの踊りを見せてもらったらレベル高すぎ!
次の日がコンクールだというのに自分のレベルの低さを痛感し出たくなくなってしまう始末。。。
もはや本番の記憶すらない初めてのコンクールに結果なんてもちろんついてくるわけもなく、参加した経験だけを持って帰宅。
しかし全国レベルの踊りを間近で見れたことがわたしの踊り心に火をつけ、晴れて中学生になったわたしは踊り中心の生活になっていったのでした…

初コンクール「真珠の涙」小6

思春期に入ってダンス漬け多忙の日々

それからというもの明けても暮れても稽古に励む毎日。当時は部活に絶対入らなくてはならず、踊りが続けられるよう個人競技の陸上部に属しながら、懲りずに次の年もコンクールに挑戦。このときは本番の1ヶ月前に横浜に行き先生に指導を仰ぐことになり、最寄り駅に着いたら胃が痛くなる…
踊りの中で歩きを大切にしているスタジオでもあったので、ほぼ歩きと走りのみの日帰り稽古。いまビデオで見返すと笑えるくらい棒切れな歩き方笑
部活しながら週6日稽古に通って挑んだけれどこの年も予選通過ならず!ちくしょーっ!て悔しい思いを胸にまた稽古。
そしてコンクール3年目の中2の春、またしても予選通過とはならず!だったのですが、結果は惜しかったと審査員をしていた横浜の先生からのお言葉。他のコンクールに出てみたら?という提案を受け、夏の埼玉全国舞踊コンクールに参加してみることに。
東北の夏とは比べものにならない暑さの埼玉へ行き、出場数の半分が予選通過という枠の中に入ることができ見事次の日の決選へ出れることに!
決選ではあまりの緊張で全てのテクニックをミスするというもやしメンタルが発動してしまったけれど、初めて賞状をもらって帰宅することができたのでした。

3回目のコンクール「凪の暁」中2〜中3
創作「天空の城ラピュタ」でパズーをやる(左)小6


創作「白雪姫」で王子をやる中3

踊り三昧から離れる青春JK

高校生になり、夏は予選通過してもそれ止まり、春は予選落ちという結果が続き、母からコンクールに出るのはもうやめたらと提案。お金もかかるし、全国レベルではない(母も中2のコンクール時に見にきて全国レベルに圧倒された)とハッキリ。
出たいけれど現実厳しいことだらけ。高校生のわたしにできることがもう分からず、コンクールは諦めて普通の練習だけに戻ったのでした(それでも週4回..笑)
そして踊りに情熱を注いでいたわたしは、コンクールを諦めて時間ができ精神的な呪縛からも解き放たれて高校生活を謳歌し遊びまわるバラ色のJK生活を送り出します。
いま振り返っても高校時代はキラキラしていたなぁ〜

進路に悩む高3、そして数分の時間が大きく方向転換を

進学校と呼ばれる学校に通い、にわか受験生になっても友だちと楽しく遊んでいるJK、進路はあまり遠くない教育学部を狙うもなかなか成績が伸びず面談の度に先生から渋い顔をされる。
そんな頃、横浜の先生のスタジオの発表会があると聞き、しばらく稽古も休んでいたけれど見たい欲望に駆られ2学期の大事な時期の模試をすっぽかし1人上京して見にいくことに。
そこで見応えのある作品ばかり見て興奮状態に陥ってしまい、とりわけ子どもの頃から憧れていた人のソロを見ていたらもう涙止まらず、楽屋に挨拶しに行ったときには「わたし来年ここに来たいです」というようなことを口走っていたのです。
家に帰宅して両親に「踊りが学べる大学に行きたい」と相談。急な進路の方向転換に驚く親、そして学校の先生たち。しかしあんなに情熱を持ってやっていたことを側で見ていた親は「結局は踊りに戻るのね」と承諾してくれ急いで受験準備へ。すでに推薦入試は終わっていた時期なので一般入試に向け、試験科目の実技(即興)に備え、稽古場で学校で、空いてる時間に様々な曲をかけて先生と対策。勉強はどうにかなりそうだったのでとにかく弛んでいたカラダを呼び覚ますかのごとく試験対策で踊りまくる日々。

そして2月、いよいよ入試のため上京。田舎者からすればみんな上手く見えるのだが気持ち落ち着かせて踊り、1科目の試験も終わらせて無事に帰宅。

そして1週間後の結果は。。。
合格!
晴れて春から「日本女子体育大学・舞踊学専攻」の生徒になることになったのです…が。




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