森林・林業・木材産業の未来
2015(H27)年3月に、奈良県の皆さんが来県された時の私のプレゼン資料より抜粋。
視察内容とは全く関係なく、ほんの遊び心で日本の森林・林業・木材産業の未来について、当時の自身の意見をプレゼン内で開陳してみたものです。(今さらながら迷惑極まりなかったと反省しています...)
私はデンマークのニクラス・ラーセンやオーストリアのハンス・ミレンドルファー、そしてピーター・ドラッカーのような未来学者ではないので「すでに起こった未来」なんてものは簡単に見つけられませんが、およそ10年が経過して、まあそこそこ当たっているところもあれば、なんだそれ?...と我が身を恥じるところもあって、なかなか面白い。
少々長くお目汚し程度ですが、休日の暇つぶしにでもどうぞ。
皆さん、ご意見・ご感想、お好きにどうぞ(笑)
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西暦20XX年
ほんの10年ほど前には予想もしなかったことだが、林業が経済的に競争力を持ち始めた。
確かに当時、日本政府を始めとして全国の地方林務行政は「林業を成長産業に!」を錦の御旗に予算の確保に明け暮れていたが、それは何時もの「来たるべき国産材時代に備えて」というキャッチフレーズと同じぐらい空虚なものだったハズだ。
もっとも林業は相変わらず危険な仕事に分類されてはいる。
だから今では防護服の着用は当たり前のように義務化されていて、林業を生業とする人たちの中には、以前のようにホームセンターで布きれ一枚のニッカボッカを買ってくるような「安全意識の低い」技能者はいなくなり、結果、チェーンソーによる負傷は格段に減った。
間伐材を主に扱っていたかつてとは異なり、今では樹高が30m、直径が80cmを超すような木材を急斜面で収穫する作業が普通なのだから、林業が危険な作業であるのは当たり前だし、今までこれほど安全に配慮しなかったことにむしろ驚きを覚えるほどだ。
こうした時代の流れで、以前も林業就業を希望する若者世代はそれなりにいたが、今では両親世代も「林業はそれほど悪くはない仕事だ」と考える人が増え始めた。
それに最近では、環境意識の高い若者が政治に積極的に参加することは当たり前になり、選挙で森林・林業に関する取り組みが公約に入っていないと、選挙で得票数を伸ばせなくなってきた。
一方で政治や行政の後押しなどもあって建設業などからの新規参入は今も少しずつ続いているけれど、予想通り上手くいっているのは本腰を入れて参入した会社のみというのは、ある意味「想定の範囲内」と言ったら皮肉すぎるだろうか。
そうそう、これは余談だけれども、国会議員も一緒になって推進したCLT( Cross Laminated Timber )は思ったほどの経済効果は生まず、所詮は厚物合板とのパイの奪い合いに終始してしまった。
異業種からの参入と言えば、トヨタ自動車が三重県に山林を購入して森づくりを始めた時、いよいよトヨタが林業機械の開発に乗り出すかと日本の林業界は大いに期待したが、トヨタは今も森づくりに専念しているところを見ていると、やはりまだ新しい林業機械の自社開発には興味が無いようだ。
一方で、海外と直接連携して林業機械を開発する中小企業が国内に育ちつつある。岐阜県がドイツ・BW州と締結した覚書に基づく企業連携の成果もその一例。
川下側を見てみると、人口減少に伴い当然の如く住宅産業は絶対的な新築棟数の減少で、一時期、業界全体に言いようのない不安感がひしめいていたが、新築頭数の削減と相反するようにリフォーム市場が活発化し、内装材を中心により高品質な木材を求めるようになり、市場は節が無く狂いの少ない窓枠や家具や内装に適した品質の高い部材を求める需要が急速に高まってきた。
これは日本の住宅がこれまでの消費材的存在から社会資本としてのストック、つまり耐久的存在へと転換が求められるようになったことを意味しているが、林業界はこれまで適時の間伐や枝打ちなどといった木材の品質管理を怠ってきた付けが回って、この天啓とも言える需要に応えられない歯がゆさを感じているとともに、強かな外材はまたしてもこの分野を席巻しようとしている点を見ると歴史は繰り返すとしか言いようがない。
また、日本国内の人口はどんどん減少する傾向にあり、核家族化からさらに顕著に独り暮らしが一般的になり、住宅は単なる建て替えや減築に止まらず、空き家が増えて行政による強制撤去が始まった。
しかし、費用負担を所有者に求めても回収が難しいことや行政も人口減少で税収が減ったため全ての費用を負担することが出来ずに困っていたが、空き家の取り壊しに伴い生じた建築廃材のうち、柱や梁・桁といった木質部材は、FIT制度の買い取り単価や森から木を伐りだす経緯と比べて経済的に有利ということが周知されるようになり、今ではあちこち乱立した木質バイオマスエネルギー発電施設が競い合うように収集するようになった。
それから自伐林家の人たちは今も各地で頑張っているが、ここ最近、かつての別荘的な感覚で小規模ながら山林を所有することがステータスとして認識されるようになり、薪を自ら生産する人も増えた。
しかしそうした人もしっかりとした教育を森林文化アカデミーのような教育機関で修了・認定し、森で働く格好だけを見ればプロと見まごうばかりだ。
これは全国に林業技術を教える学校が設立され、各地の伝統的な林業や木の文化について体系的な教育が行われるようになったためで、一昔前には考えられなかった学校と企業を行き来して学ぶデュアルシステムが実現した影響が大きい。
プロといえば、ようやく林野庁が重い腰を上げ、つい最近、森林施業プランナーが国家資格として認定された。彼らの仕事ぶりは、よりマクロな視点で広域的な木材の需給調整に関わる人と、よりミクロな視点で一つひとつの木々を見て森づくりにまで従事する人に自然と大別されるようになったが、これはかつて県森連など一部の人たちだけが関わっていた木材の需給調整機能は完全に組織から属人的なところへ移行したためで、今では如何に多くの森林所有者や木材生産事業とネットワークを持っているかがプランナーとして問われるようになっている。
それから全国の期待を集めて制度を検討していた森林総合監理士、通称、日本型フォレスターは、国家資格として制度設計されたものの、最終的に現行の林業普及指導員資格制度の中に組み込まれたため、やはり行政需要だけでは活躍の場が限られることから行政外の人たちにとっては余り実需が無く、所詮は机上の制度設計で実際の現場では役に立たないという評価がもっぱらだ。
ただ、森林総合監理士の資格保有者の中には、森林施業プランナーの資格を受験する人も少なくなく、現場を重視する人材の育成は着実に進んでいる。
2010年代、日本の地方自治体は、ドイツやオーストリア、スイス林業との積極的な連携を進めてきたが、当時、遥か彼方にあった彼らの背中を愚直に追い続けてきた結果、今、日本の林業・木材産業も木の成長とともに少しずつ成長したことは間違いない。
わずかずつではあるが、成果がこうして少しずつ実現してきたのは素直にうれしく感じるとともに、彼らとともに並び立てる日はそう遠くは無いような気がする。