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tattoo ha taboo ??
今日、クラスの友達と「タトゥー」について会話をする機会があった。
きっかけは、その友達が授業終わりにタトゥーを入れに行くって話を聞いて始まった。
カナダの学校では、僕の感覚5人に1人くらいの割合でタトゥーを入れている人がいる。
当たり前とまではいかないまでも、普通。かっこいいね。って感じ。
ジムなんかにいけば、2人に1人くらいバッキバキの腕や、モッリモリの胸にでっかいタトゥーを入れている人を見る。
話を戻そう。
会話は続き、その友達が、
「なぜ日本ではタトゥーがそんなに嫌われてるんだ?」
って僕に尋ねた。
少し考えて僕はこう答えた。
「これは俺の考えなんだけど、タトゥーは昔、主にヤクザ(ヤクザって言葉は世界中で伝わる)が入れてて、そのイメージから、タトゥー=悪、タトゥー=怖いもの、みたいな考えが今でも広がってるんだと思う」
友達は
「そっか、もし俺が日本にいったら裸になれないね笑」
くらいの返しで会話は終わった。
なんか引っかかる。
家に帰って日本のタトゥー 事情について調べてみた。
うーん。どうやら、
僕の友達に対する回答は、おおよそ正しいようだ。
な〜〜〜〜んで、21世紀、オリンピックも今年中に日本で開かれようとしてる、この時代にまだそのマインドが脈々と受け継がれているのだろう。
ヤクザが流行ったのなんてとうに、昔なのに。
僕が思うに、タトゥー=ヤクザって考えもまだあるとは思うけど、「ヤクザ」という対象が、知り合いの、どこかの誰かの、”クレイジー”な人にとって変わられただけなのではないだろうか。だから、本質的には何も変わっていないのではないだろうか。
クォーテーションマークが暗に意味していることは、僕はクレイジーとは思わないけど、タトゥー=悪、怖いって考えを持つ人からしたら、クレイジーにみえる。ということである。
僕は、
タトゥーを広めたいと思っている訳じゃないし、もっと寛容になろうよ、って諭すように言いたい訳でもない。
この違和感から学んだ事は、
自分の中のモノサシだけで判断してると、世界は狭い、狭いままである。
僕らは、自分とは違う意見を受け入れる、「変化」に消極的なんだろうな。
という気付きである。
しかし、そう考える時には狭いことにすら気付かないから、さして問題とは思わない。だから余計にやっかいだ。
タトゥー 以外のテーマで、僕も知らず知らずのうちに、自分のモノサシだけで考えてしまっている事があるだろう。
日常の「何か」に違和感を感じたら、立ち止まって深く考えられる人間になりたい。
きっと、新しい気づきがあるはずだ。
ちなみにその友達は、元カノの名前を入れてて、すげー後悔してた。