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山梨 Love&purification Retreat 3

●リトリート3日め デヴィカヨガ

朝からヨガをする。

私はこの時の記憶がほとんどないのだけど、思考せずにヨガを出来たのだと思いたい。


●カカオセレモニー

二度目のカカオセレモニー。

美味しい美味しいカカオに祈りを込めて、いただく。

歌の輪唱をふたたび。

曲は一昨日と違う。

楽しくてニコニコして、でも、もう間もなくこのセレモニーが終わり、ここに集ったメンバーとさよならすることに寂しさを感じる。

また手と手を合わせて、目と目を合わせて、やっぱりあなたの瞳の中に私がいることを知って、涙する。

ひとりひとり、どうしてもここにいる人たちがいなければきっと作り上げられなかった、リトリートの参加者みんなに感謝する。

本当にありがとうと愛おしさ。

なぜひとりひとり、こんなに愛おしいんだろう。

きっと日常に戻ったら、また会おうね、ってことをしないだろう。

でもなぜか今、とても大切に感じる。

だからこそ本当だなあとも感じる。

そして、どうやったってきっと繋がっている。

素晴らしい、言葉で言うと何だか少し違うのだけれど、素晴らしい時間だった。

最後、Lataさんと手を合わせ目を合わせ、初めてこのリトリートで繋がった気がした。

Lataさんに『ここまできっと孤独に、大切なものを守って来てくれてありがとう』って、感謝して泣いた。

最後、輪になって感想を言う。

言葉でうまくまとめられなかったけれど。

きっとみんなそうだろうなあ、と思っていたけれど。

一言で表すなんて、きっと無理だろう。

そういう大きな日々だった。


●ブランチ

最後はブランチ。

もう帰り仕度を済ませ、名残惜しみながら、最後の食事。

沖縄には台風が迫ってきていて、飛行機が明日飛ばないかもしれないとは思っていたけど。

私が乗る夕方の便も欠航になっていたことをその時に初めて知る。

突然、色々と話が変わり、思考が動き始める。

あら大変だ。

まずは旦那さんに連絡。

仕方ないので、あとは流れに身を任そう。

どうしよう、困ったな、と言う気持ちと、今日飛行機に乗らなくていいんだ、とホッとした気持ちも実は少しあった。




●急に高尾山

リトリートのみんなにお別れを告げ、今夜の宿を探さなければ、と考えていたところ、急に高尾山に誘われる。

高尾山なんて行くつもりないのに・・・と思ったけれど、なぜか流れで行くことになる。笑

途中の電車でもまた、ぐっと怖さが出てきた。
(飛行機同様、閉まって出られない乗り物全般が苦手)

一緒に乗っていたうめねちゃんに、レイキをやってもらいながら、グラウンディングのやり方を習う。

心が落ち着く。

高尾山に到着し、少し登り、何と、ケーブルカーで行くことを知る。

ケーブルカー?!聞いてない、乗れない、怖い。

乗るまでに何度もケーブルカーの中を確かめに行く私。

「帰りの飛行機の練習だよ」と言われてトライする。

途中、怖さの乗りこなし方を体得する。

怖さの波が来たら、怖い怖い、と逃げようとパニックになる。

そこを逃げずに、上がってしまわずに、波の下にぐっと潜る。

ぐっと耐えて耐えて、波が通り過ぎるのをこらえて待つ。

その先には怖いことはない。

この感覚をつかみ、かなり自信を持つ私。

そして、一緒に行ったみんなからの指摘。

「怖いことを探しに行ってるよね」

わざわざケーブルカーの確認に行って、『怖い』のモードに自分から入りに行ってるよね。


孤独に入りに行ってしまうという、うめねちゃん。

孤独探しの目で世界を見始めて、自分はやっぱり孤独なんだ、っていうモードに、自分から入りに行ってしまうときがある。

私の怖い探しモードは、うめねちゃんのそれと全く一緒らしい。

うめねちゃんの感覚の話を聞いて初めて自覚した。

だってその孤独探しモード、私から見たらやらないことだし、とても不思議な行動。

ということは、私のそれもかなりおかしな行動だ。

こうやってみんなにケーブルカーに乗せられて、スパルタをされて、愛を持って訓練させられた。



高尾山は神聖で、美しかった。

自分では来ようとも思わない、でも来ることができてよかった。

初めて会ったみんなと、リトリートのことを振り返り味わいながら、高尾山にお参りする。

いろんなことを話す。

必然の時間だった。

それでもやっぱり、消化しきれないくらいの、壮大なリトリートだったね、という想いだけは一緒で。


山を下り、一人、また一人、とお別れをし、最後には沖縄チームのみゆちゃんと二人ホテルへ。

(行きの飛行機に乗せてくれた、やさしきスパルタ女神→

この日もなぜか一緒にお風呂に入り、女性性の話でひたすらにおしゃべりをする。


翌日から私は体調を崩し、部屋で寝込むのだけれど、思えば、みゆちゃんに始まりみゆちゃんで終わる旅だった。

ありがとう。



最後の日も、台風の影響で電車のダイヤが乱れ、バスも駆使してやっとのことで飛行機に乗ることができ(訓練のおかげでかなり落ち着いて乗れた!みんなありがとう!)、
びっくりするくらい高くなった空港の駐車場の料金を払い、車で帰路につく。

たくさんがんばってくれた娘をいっぱい抱きしめてよしよしして、旦那さんにもたくさんたくさん感謝をし、荷解きも出来ぬまま倒れこむ。

その後、数日は寝込んで。

身体と心が日常に戻るまでにかなり日数がかかったけど。

思考がちゃんと働くまでに結構日数がかかったけど。

そして、このリトリートが何だったのか何となく分かるまでに、かなりかなり時間がかかったのだけど。

本当に行ってよかった。

行かせてくれたみんな、
行かせてあげた自分、

本当にありがとう。


体験するって、すごい。

オンラインでいいと、もう私は感じていて、
大変な思いをしなくてもいい、たくさんの人と交わる必要もない、自分一人の空間で、いつもの生活のペースで情報を受け取れる、
本当にオンラインでいい、と強く思っていたけど。

体験するって、会うって、オフラインって、何かすごい。

『何か』としか言い表せない部分が、何かとてもとてもすごい。

言葉で言いあらわせることって、本当は大したことはないのかもしれない、って思うくらい、感覚が残る。

言葉でうまくまとめられなくて、ブログに書き残せない日々が続いたけど、日常でふっとリトリートのワンシーンがよぎる瞬間があって、すぐに感覚がよみがえる。

胸がきゅんとする。

あの時の緑の中の鳥の鳴き声とか、ダーキニーの時のあの、泣いた時とか。。。


今日、Lataさんが、次のリトリートのためのインスタライブをしていて、「本当に理解したのは体験してから2年後くらいだった」っていうのを聞いて、ああやっぱり、って思った。

だから、わからないままでも早急にブログに書き残さなくては、と思い、書きました。


スパルタで、愛に満ちた、初めてのことだらけの、大冒険。

残ったものは体感。

またいろんなことを整えて(お金、気力、スケジュール)、参加できるように。

とか言って、嵐にさらわれるように参加することになるんだろう。



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