この3年間を振り返る〜天中殺が終わり。〜
エネルギーが切り替わるというこの新月。
いいタイミングなのでブログを書いてみる。
約3年、なぜかとても外に出たくなかった。
体もそうだけど、心が、特に。
コロナのことはそうなんだけど、コロナはあまり関係はなかった。
いい隠れ蓑にしていたなあ。
窮屈だったけど、助かってもいたよ。ありがとう。
思えば天中殺だった。
バッチリかっちり天中殺だった。
2020年〜2022年の三年間。
多分本当の意味ではまもなくの節分で、天中殺が開けるのだろう。
あまり悪い期間とは捉えてはいないけど、思うようにいかない。
転機となった。
でも、いつもの自分らしくないエネルギー、という感じだろうか。
動きたい、閃きたい、表現したい、思うままにやってみたい、そんな気持ちもすっかりなく、少し思ったとしても、その先にどうしても進まない。
そんなそんな3年間。
だけど、いっぱいいっぱい考えた。
自分を見つめ直した、振り返った。
少し、もう進んでみたいという気持ちに、なぜかなったから、ゆっくり、こわごわ、足を踏み出してみる。
(運勢の流れ通りに、気持ちが動き始めることに驚く。
本当に流れ通り。
流れるままにしかいけない。)
2020年、春分を迎える頃には、あれほど出会えた!と思った仕事(四柱推命、リーディング、スピリチュアル)に、ぱたりと興味が失せてしまった。
関わり方だったのか、バランスの取り方だったのか、もしくは切り替わるタイミングだったのか。。。
今でもよく分からない。
(きっとまた歩み始めて、ぶち当たって、乗り越えてみて、わかるんだろう。)
焦った。
とても焦った。
発してない自分に焦って、何も気持ちが湧かないのに、色々もがいた。
結局どれもしっくり来なくて、動かなくなった。
今思えば、答えは動くことの中にはなかったんだろう。
自分と時間をかけて寄り添って、見つめるしかなかったのかもしれない。
今となってはそう思うんだけど。
お金がピンチになった。
家事代行を始めた。
貸付金にも頼った。
ゆっくりお金の後始末をした。
それとも向き合った。
コロナに怯えたけど、スピリチュアルなワークとかに助けられた。
自分はスターシードなんだなあとはっきり自覚した。
地球的なことの、苦手な部分があるんだなあ、と再認識した。
そんな自分をゆるして、よくこの地球でやってるなあと思えた。
家事代行でいろんなお客さんにあった。
優しかったし、喜ばれることが好きなんだなあと思った。
高齢の方も結構いて、老いる、ということに、現実的に、でも優しく、向き合った。
旦那さんの実家と話す機会があって、色々想いを伝えた。
全部が伝わったとは思わないけど、自分の中では少しつっかえが取れた。
大きな一歩だったように思う。
旦那さんの実家の近くに引っ越しが決まった。
娘にとってはすべてが新しい環境だ。
慣れた園やお友達、おうちも全部さよならして、新しい場所。
本当によく頑張ったと思う。
新しい土地はとても夕日が綺麗で、自然が近かった。
窓から飽きもせずに景色を眺めた。
より世間と遠くなった気がした。
娘の幼稚園と、家と、旦那さんの実家と、家事代行。
この世界の中により篭った。
自分の心の感覚と同じように。
別に外を欲していなかった。
ご時世的にも良かったのかもしれない。
そういえば、やっとのことで始めた新しいブログにも、以前発信をしていたときのアンチの人がコメントして来ていたな。
気にしないように書いていたけど、その時期に感じていた、自分と世間の人とのずれに衝撃を受けて、言葉を世の中に発する意味を見出せなくなって、書かなくなっちゃったな。
「ひっそりと書いていたら、届く人の元には届くかもしれない、そういう人と心が繋がったら嬉しい」という気持ちで心の内を書いていたけど、コロナがきっかけで、「ああこんなにも自分と違う価値観の人がいて、違うということを攻撃する人がたくさんいるんだなあ。」と思い知らされた。
コロナに対する思いや憤りを書き綴るには、当時、あまりにもリスクが大きい気がした。
あまり何かを発信する、ということに意味を見出せなくなっていた。
そんな感じで、毎日を、日常を、ただ送るだけの日々が続いた。
自分にとってはとてもとても長い時間。
娘が小学校入学を前にして、幼稚園に行けなくなった。
「1年生になれないよ」という声がけのもと、『ちゃんとやれるようになりましょう』という空気が彼女を追い詰めていったんだろう。
大きな決断だったけど、お休みをさせた。
とても迷って迷って、泣いて泣いて、決めた。
じーちゃんばーちゃんの助けを借りて、旦那さんの職場の助けを借りて、何とか過ごした。
小学校も入学式以来行けなかった。
そんなときに、今思っても奇跡というか、ご縁というか、そうとしか思えないタイミングで、近くのフリースクールの入学説明会があった。
お金の面の心配もあったけど、ここにだったら通わせたい、と思う空気感と理念があった。
娘は緊張しながらも、元気に通い始めた。
自然に囲まれた、安心感に満ちた学校。
ほどなくして、家事代行を辞めた。
ばーちゃんの仕事を手伝い始めた。
お金をもらっているからには、役に立たなくては。
意識を注いだ。
娘の学校はお迎えが必要だった。
午後の早めの時間に学校が終わる。
もちろん延長もない。
あっという間にお迎えの時間がやってくる。
繊細な娘が学校で泣き、急遽お迎えになることもたびたびあった。
自分の時間が、圧倒的に減った。
娘も自分も、環境や生活スタイルに順応しようと必死の1年間だったように思う。
心の中の状態や、生活の環境が、どうあがいても自分を『静』にさせられる3年間だった。
思いついたらやってみたい、そんな自分にとっては、とても違和感のある3年間。
だからといって、やりたい気持ちがわいてくるわけでもない。
だけど、多くはないけれど、とても大切な、出逢いもあったなあ。
家事代行で出会った同年代の方。
唄がお互いに好きで、そのお母様のやっている唄の教室にも行かせてもらった。
しばらく交流が途絶えていたファミリーとも、月1ペースで交流が再開した。
とっても嬉しかったなあ。
娘同士も仲がいいし、夫婦ともに大好きなお友達。
いろんな時に、心の支えになったなあ。
娘の新しい学校でのお友達のママとも、仲良くなれた。
だいぶ時間がかかったけど、お互いの心の内を打ち明けあったあと、とても深くまで話ができたことに驚いた。
何だか深く喋るまでにいつもとても時間が必要な二人だけど、話したあとにはなぜかいつも自分に感動するような気持ちになる。
大切な大切な自分のことを思い出せる。
年末にはパパも含めて、家族ぐるみでお酒を飲めた。
すごく深い交流や出逢いがあった。
実は、少し前から『動き出してもいいな』『ちょっと動き出してみたいな』という気持ちが出て来ていた。
天体の配置的にも、自分の運勢の流れ的にも、納得の動き。
水瓶座の時代が、プレスタート。(諸説ある。冥王星が水瓶座に入ったから、とか、これか2年間は順応するためのプレ期間だとか)
自分の天中殺も開けた。(おそらくは2月3日が本格的な開け。)
あがいても流れには逆らえないんだなあ、と、後から実感する。
天中殺に入る前は、がんじがらめにならないように、悪く捉えてしまわないようにしていた。
(実際に悪かったわけではない。ただどうしても、思い通りにいかなかった。その分、深く立ち止まれた。)
スピリチュアルをもういらないと思った時期もあった。
もうあんなことやりたくない。
どうせ世間の人から変に見られるだけだし。
ハマりたくもない。
今思うと、取り入れていた時の自分はただただまっすぐで純粋だっただけなのに。
(少し離れてみると、自分が騙されやすいバカな存在に思える。何のカラクリなんだろう。)
今また少し触れてみて思うのは、スピリチュアルって、ヨガとかストレッチのようなもの、という感じがする。
何も特別なことじゃなく。
身体が気づかないうちに凝ったり固まったりしていて、ストレッチをすると、「あぁ凝っていたなあ、気持ちいいなあ、定期的にやらないとなあ」と思うのと、同じ感じ。
それの心バージョンという感じ。
自分が繊細だからなのか、スターシードだからなのか、みんなもそうなのか、分からないけど、自分にはそれが必要だということ。
そういうことも最近改めて、ニュートラルな感覚で思ったこと。
セージを焚いてみたり、エネルギーワークをやってみたり(地球と繋がり、宇宙と繋がる。とっても気持ちいいの)、カードを引いてみたり、チャネリングをしてみたり。
自分の中のゴミを整える感じ。
お部屋も、身体も、心も、自分には必要なこと。
ばーちゃんのお仕事の営業許可の期限が切れるので、今回から自分の名前で許可を取り直したり、ばーちゃんの介護認定の手続きをしたり、何かそういうのも、とても頑張った。
娘ももうすぐ7歳になり、2年生になる。
もうそろそろ少し、自分のことも始めてあげよう。
この3年間を、なぜか振り返りたくなって、書いてみた。
自分と、この日々を、何だかねぎらってあげたくなった。
新しく書き記したけど、なるべくアンチの人が見なくて、共鳴する人だけに届きやすいような、そんな媒体を探している。
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