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ノスタルジックに出会ったら『いま』が確認がされた

生まれ育った町に行った、と言っても1時間程度の場所だから、そんなに遠いわけじゃない。
ここの氏神さまを参拝。40年以上過ごした場所の氏神さま。歩いて20分くらいだったこともあって、初詣はもちろん休日の散歩兼ねて、よく参拝した。神さま、覚えていてくださるだろうか。

引っ越してから6年になる。長いのか短いのか中途半端な時間。
駅から神社へ向かう道、昔からこの道だ。昔からある景色と途中で変わった景色、そして6年の間に変わった知らない景色、いろんな景色が混在している。
神社の境内も変わらない景色と知らない景色が混在していた。

行きとは違う道を歩いて駅に戻った。住んでいた頃も、ほとんど通ることのなかった道だ。40数年過ごしていても、行ったことのない、通ったことのない道はたくさんある上、知らない景色に変わっていたりして、懐かしいというより新しい発見に近い。

そんな風に歩いていると、懐かしい洋食屋の前に出た。
住んでいたマンションの裏にあった洋食屋で、子供の頃よく通った。
そこからこの場所に移転してどのくらい経つだろう。40年近いように思う。
通ったのは子供の頃だが、移転したのも子供の頃だ。正確には通ったのは親だけれど。

家から15分程度の場所なのだが、移転してからは来たことない。 
入ってみることにした。およそ40年ぶりだ。
15分程度の距離にいても入ったことがなかったのに、1時間も離れた距離に引っ越してからおよそ40年ぶりに入るのだから、物事の流れというのはおもしろい。

入り口からして、少し昭和感のある入り口だ。ドアを開けると、外観のイメージと違って店内は混み合っていた。混み合った空気が、ノスタルジーから現在に引き戻すのだが、電球の間接照明、薄暗い店内がノスタルジックを演出している。昭和のお店であることに間違いないが、意図的にノスタルジックを演出しているかは定かではない。

壁に振り子時計がかかっていた。
文字盤はすっかり茶色く黄ばんでいて、彫刻が施された木に囲まれていた。
飾りかと思ったけれど、ちゃんと動いていて、いまも現役だった。
よく見ると文字盤と木製のフレームの間が外れているように見えるし、フレームにヒビのような割れ目が見えた。
何より茶色く黄ばんだ文字盤が流れた長い時間をものがたっている。
本当はここにガラス板が入っていたのかもしれない。

ランチメニューに1番人気と書かれたハンバーグセットを注文した。
お皿にデミグラスソースのかかったハンバーグに青菜のおひたしとレタスとキャベツの千切りに彩り程度の紫キャベツと人参の千切りが混ざったサラダが添えられていた。ライスもお茶碗ではなく、お皿に平たく盛られて出てきた。いかにも『洋食屋さん』らしい。これにスープなら定番ライススタイルぽいが、お味噌汁が添えられてきた。
スープカップじゃなくて、ふつうにお味噌汁のお茶碗に入った『ふつうのお味噌汁』だ。
お味の方はというと、懐かしい味がしたと書きたい、というよりもこの流れの文書なら大抵、そうくだると思うが、味の方は覚えていない。子供の頃、ハンバーグが嫌いだったので、そういえば、ハンバーグなんか食べてないなと思った。

そんなことを思い出しながら、古びた振り子時計が、移転前のお店の入り口のドアを開けたお店の1番奥の壁にかかっていたような気がしてきた。 
味の記憶はないが店内の記憶はうっすらとよみがえってきた。

そんなノスタルジーに浸りながら帰路につく。いまの地元駅に降りると、ホッと、帰ってきたという安心感を覚えた。
いまの場所の何倍も長い時間を過ごして、いまの場所より数では表せないほどの記憶、記憶に隠れた感情がある生まれ育った場所は、かつての過去の場所に変わったのだと、そして、いまは違うこと、いまここを確認させられた1日だった。



振り子時計。茶色く黄ばんだ文字盤。


かつてとなった場所の氏神さまの御神木。  千本公孫樹の木


境内は紅葉が始まっていました


銀杏並木の足元は銀杏がいっぱい


最後までたわいもない話に
お付き合いいただき
ありがとうございました。




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