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ところで、書道は芸術なのか?
意気揚々と「テクノロジーが芸術にできること」を実験テーマに掲げてまもなく、この疑問にぶち当たる。
尊敬する書家・松井如流先生の書話集を読んだ。「お正月」をテーマにしたその話では、“書家などといって芸だけに没頭する仙人のような生活に憧れることは滑稽で、酒を飲んだり、餅を食って、お正月を楽しみなさい”と書いてあった。(かなり割愛しているが)
さらに、「書は元来実用性のもので普通の生活の中から生まれたものであって、今の時代で、書を芸術なりとして何か実用性から遙かに遠いもののように考えることはどうであろう」とおっしゃり、「書く人の心の中に芸術としての燃焼」があることが書の芸術性なのではないかというようなことを語られている。
書道が芸術なのか、という疑問は残したまま、芸術と語ることで人間から遠ざけてしまってはいけないということを考えている。それはテクノロジーもまさにで、人間から遠ざかるほど現実味をなくし、便利にはなるかもしれないけれど、心にふれるものがない、かなしいものになってしまうように思う。
「人間らしく、人間のやることを楽しみなさい」という松井先生の言葉を大切にしたい。
参考:松井如流『練馬草堂雑筆(書話集)』