「ずっと波の中にいた」大学職員のNさんが副業を始めて気づいたブックライターへの夢
終身雇用が難しいと考えられており、副業の解禁や新しい雇用形態など、働き方を考える際の選択肢が増えてきた現代。
働く人のなかには「なんとなく働き方に違和感を覚えているけれど、どうやって選んだらいいのかわからない」と感じる人も多いのではないでしょうか。
そこで本インタビュー集「キャリアの転換から学ぶ」では、あらゆる人のキャリア変遷を伺いながら、働き方に悩む方に「働き方を考えるためのヒントや選択肢」を提案していきます。
今回紹介するのは、大学職員としてキャリアを築かれたNさんです。
大学職員として国際関係の仕事をしながら副業でライターをされているNさんにとっての、キャリアの転換を伺います。
国語の先生になることを夢見た高校時代
高校時代は国語の先生になりたいとずっと言っていました。なぜなら、数学とかが本当に不得意で、国語だけが得意というか、高得点を取れていたからです。
本が好きで、作文も書くのは苦ではありませんでした。
小さい子が抱くようなものでしたが、あの先生のようになりたいというような、教師への憧れは漠然とあったのです。
進学した先は、とある地方の国立大学でした。その大学の人文学部には日本語の言語学や日本文学のゼミがあるため、国語の先生になるために日本語関係の分野を勉強できると考えたからです。
ところが、1年生のときに教養科目で受けた英語学を教える先生の講義に惹かれます。
仲のよい友人もそのゼミに行きたいということだったため、結果として私は英語の認知言語学のゼミに所属することになりました。
その先生は業界では有名な方だったのです。
先生のゼミは結構きついと噂されていましたが、私は大変だといわれるものに惹かれる性格であるため、あまり気になりませんでした。
それよりも、台本も見ずにスラスラと英語でプレゼンしている先輩たちを見て、キラキラしていて憧れるなという思いが強かったのです。
就職活動では出版社や広告系の会社を受けた
就職活動では、もともと興味があった広告系や印刷会社、出版社を何社か受けました。
しかし、私が就職活動を開始したのは、リーマンショックが起きたすぐあとの年でした。
前の年は売り手市場でしたが、一年経って私が活動する年には、買い手市場にガラッと変わってしまったのです。
大学時代は休学して一年オーストラリアに留学しており、まさに就職氷河期が始まった年に職を探すことになったのです。
県内であればもう少し就職先もあったと思いますが、東京で仕事を探していたこともあり、当時の就職活動では困難を極めました。
どうしようと思っていたら、自分が通っていた大学で初めて独自採用がおこなわれたのです。藁にもすがる思いで受けたら、なんとか大学職員に受かったという感じでした。
大学職員自体は、就職活動で困って入ったような感じだったため、やりたかった仕事なのか自分でもわからないままでした。
それでもなんだかんだ面白く、アメリカへ海外研修に行かせてもらってやりがいを感じていたので、長く続けてきたのです。
しかし、仕事が落ち着いてくると、他の可能性を探りたくなるというときが何回か続きました。転職しようかなと思うタイミングが毎年1回は来るという感じです。
別にそこにすごく大きな不満はなくても、ずっとこのままでいいのかな、みたいな不安が漠然とありました。
感じている職場とのミスマッチ
現在の職場では必ずしも総合的な能力を見られて昇進しているとはいえず、能力というよりは年次で上がっていくような仕組みです。
スキルを上げたり向上心を持ったりする雰囲気の文化ではありません。
自分自身の考え方はよく「意識高い系」みたいに、揶揄されてしまうと思っています。
周囲との温度差から居心地の悪さをじわじわ感じるので、そうした意識を自然に持っている人たちと働けたらな、という思いはすごくあります。
贅沢を言ってはいけないと思う一方、頑張っても正当に評価される仕組みがないため、モチベーションを維持するのが難しい。
そんな状況なので、積極的に仕事に取り組んでいる人がどれだけいるのかも、正直疑問です。
自分が熱血なわけではないのですが、熱烈に、向上心が外に出ないほうがみんなと仲良くできるから、頑張っている様子を出さないほうがよいような感じすらあります。
ホワイトで働きやすい環境であるとは思いつつ、ここでずっと働いても人間的に成長できなさそうだなとか、自分のミスマッチというか、違和感のようなものはずっとあったのです。
転職活動をしてみたりもしましたが、今の職場はなんだかんだ悪くない待遇であるうえ、これまで10何年やってきて得られたスキルもあります。
英語も研修に行かせていただいたからできるというのもあり、完全に他の業界に行くことに踏ん切りがつきませんでした。
大学職員を続けてきていて、その他のことがしたいけれど、今の環境に感謝したほうがいいし、あまり贅沢をいったらいけないな……と、ずっとその波のなかにいたのです。
たまたま目についた広告でライターに導かれる
そのようななか、インターネットを見ていたら、たまたま「コピーライターの養成講座が3週間無料!」という広告が流れてきました。
もともとライターのような仕事に憧れというか、ものを書く仕事にずっと惹かれていました。読むことや言葉の使い方を見直すことは普段の仕事でも苦ではなく、どちらかというと好きな作業だったのです。
人の文章の添削とか、自分の文章も何回も読み返して、それでよい原稿が書けたときにはすごくニヤニヤしてしまいます。
昔から国語が好きなうえ、本を読むのが好きなことも、書く仕事への憧れにつながっていると感じます。
3週間体験したあとセールスライティングの講座に入会し、半年間学んでいました。オンラインで教科書のようなコンテンツがたくさんあるサイトを自分で見ながら学ぶ形式です。
仕事の取り方も教えていただき、クラウドソーシングサイトで案件に応募していきました。
本業で留学支援を長くしているので、その知識を活かして2023年の11月から留学エージェントのメディアでWebライティングしています。
執筆している件数は月1〜2本と多いわけではありませんが、副業の仕事はやった分だけお金がもらえるというのが大きいなと感じます。
今がまさにターニングポイントとなる
思えば、コピーライティングの講座を受講したことをきっかけに副業を始め、2024年3月から5月までブックライティングの講義を受けた今がまさにターニングポイントだと感じています。
普段している仕事は成果や能力に対しての対価というイメージがあまりなく、どちらかというと出勤すること自体に意味があるような感じの風潮です。
もちろん多少実績評価もありますが、営業成績を問われるような組織ではないので、実績はどういうふうに評価しているのかがあいまいなのです。
そういった思いが根底にあることも、現在の仕事以外の可能性を探る動機になっています。
このモチベーションがどこから来ているのかわからないのですが、学び続けたり、スキルを上げ続けたりすることには、すごく興味があります。
とても忙しい時期には仕事以外の活動が何もできないのですが、逆に少しでも余裕があるなと思うと、空いた時間で英会話に行ったり、英日翻訳を勉強してみたりなどでスキルを上げています。
20代の頃もそうでしたが、漫然と30代を過ごしたくないと思っているからです。
仕事でも向上心を持って学生によりよいサービスを提供できるように、よりよい仕事ができるようにしたいという思いがあります。
今後チャレンジしたいのはブックライターへの道
取材ができるライターになりたいというのは最初の段階から思っていました。
もちろん取材がないWeb記事を書く場合でも、みなさんそれぞれきちんと調べて書いていると思います。
しかし、短い期間のなかインターネットで調べた内容をまとめて記事にするというのが、自分の場合は少し違和感があって、それできちんと取材して書くという方向になりました。
仕事の進め方を学んでいたところ、佐藤 友美さんの『書く仕事がしたい』(CCCメディアハウス)という本に出会いました。佐藤 友美さんは雑誌やヘアカタログで取材ライターをされてきて、ブックライティングもされています。
そうした学びのなかで私自身も取材に興味を持ち、その延長としてブックライターに興味を持ちました。
ゆくゆくはフリーのライターになりたいと思わなくもないのですが、ブックライター塾で開催された編集者の方との交流会をきっかけに、出版社で本作りを学びたいと真剣に考えるようになりました。
就職活動の時期に出版業界に憧れがあったうえ、もともと持っていた興味とちょうどマッチしたような感じがあるのかもしれません。
出版社でライターの正社員採用はほとんどないため、編集職への応募も視野にいれています。
とはいえ、出版社の中途採用はほとんどが経験者採用。私は異業種からの応募なので、少しでも経験を積みたくて、自主企画で取材し、その道を実現できるように行動しています。
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