生きることについて何も考えてこなかった、いたって普通のアラフォーの私が、生きることや日本の未来を真剣に考えるようになったワケ
アラフォーの私が、今まで全く興味のなかった日本のことを好きになり、日本人であることに誇りを持てるようになった理由と、今日本について思うことをお話します。
ダサい、暗いイメージの日本に全く誇りが持てなかった
「アフターコロナ時代をどう生きるのか。」
生きることを特に考えなくても、なんとなく生きてこれちゃった私たちの世代。
でも今、世界を震撼させるコロナをきっかけに、
生活スタイル
仕事
人間関係
など
今まで当たり前にまわっていたことが大きく変わる
今この時、この瞬間。
「どう生きるのか。」
その問いと真正面から向き合う時がきている。
「生きる」と直結していることの一つが
アイデンティティー(自分自身をどう思うか)だ。
どんな親に育てられ、どんな価値観を持っているのかはもちろん、
忘れてはいけないのが、「国」という一つの単位だ。
そう、私は日本人だ。
少し前までの私は、日本という国に全く誇りを持つことができなかった。
日本人であることが恥ずかしいとすら思っていた。
でも、今では日本のことが大好きだし、日本の未来について真剣に考える仲間がほしいと願っている。
ちょっと前までの私には、
・アメリカ・ヨーロッパ = かっこいい
・日本 = ダサい、暗い
という公式がいつからかあり、
ダザイ、暗い日本には愛着すら持てなかったのだった。
本気で思ったことを言葉にもカタチにもできない
そんな私が選んだ職業はWebデザイナーだ。
子供の頃から世界の成り立ちや自然界の変化に興味があったし、何より映画が大好きだった。
新しい世界をカタチにする仕事がしたくてデザイナーという職業を選び、とにかく夢中で先輩から学び、デザインの技術を習得していった。
でも、なりたい職業に就くことができても
デザインが上達しても
ずっと私の心は冴えなかった。
その一つの要因は、
「本気で思ったことを言葉にもカタチにもできていなかったこと」だと今は思う。
当時のデザインはどこか何かのマネであったし、
魂が入っていなかった。
発言も人に合わせてばかりだった。
ていうか、そもそも本気で思ったことを言葉やカタチにすることの意味が私にはわからなかったし、本気になれることなんて何もなかった。
自分には何かが足りないと思っていた。
でも、何が足りないかわからない。
その何かが足りないと思う心を趣味やお酒で埋めようとしたが、
気分が晴れるのは一時的なことで、何をやっても長続きはしなかったのだった。
めちゃ熱すぎる韓国人との出会い
そんな時に出会ったのが、日本人の可能性を日本で25年以上も語り続けているNoh Jesu(ノ・ジェス)という韓国人だ。
彼の言っていることは、はじめは難しくてわからなかった。
でも、話を聞けば聞くほど、彼が日本人と共に体系化してきた日本初の技術であるnTech(エヌテック)のコンテンツの素晴らしさに私は度肝を抜かれることになる。
日本は明治維新の時からずっと西洋の技術を習得してここまでがんばってきた。
あくまでも私が思う見解ではあるが、本来の日本人らしさである、おもてなしや和心は技術革新の上ではないがしろにされてきたと言っていい。
でも、nTechは違う。
これは、日本人がもっとも得意とする心を使った技術である。
私は直感的にそう思ったし、実際にその通りであった。
ノ・ジェス氏は、日本の明治維新のことを世界で一番誇れる歴史だと言う。
戦争のことも多く語ってくれた。
複雑で嫌いだった明治時代の歴史。
暗くて嫌な思い出の昭和の歴史。
私は、ノ・ジェス氏の歴史の解析を聞いて、今まで固定していた歴史の見方がどんどん崩れ去っていくのを感じた。
まさか韓国人から日本のことを聞く日が来るとは思っていなかった。
彼から聞く歴史は今まで勉強していた学校の教育とは別の「活きた歴史」だ。
そして、何よりも、日本人であることに全く意味を持っていなかった私自身の心がものすごく喜んでいることに気づいた。
彼との出会いをきっかけに、今までずっと無視し続けた日本人であることのアイデンティティーが、なにやらざわめきはじめたのだ。
私とつながる日本
それだけではない。
今まで年号を覚えるだけで自分とは全くつながらなかった歴史が、そして日本が、みるみるうちに自分とつながっていった。
ノ・ジェス氏は、太平洋戦争に行った世代を第1世代、その子供を第2世代、さらにその子供を第3世代という。
アラフォーの私は第3世代だ。
■ 沈黙の第1世代
戦争に行った第1世代は「沈黙の世代」だとノ・ジェス氏は語る。
思えばそうだ。
私の祖父は職業軍人で偉い人だったと聞いていた。
でも、戦争に負けた後、一切戦争のことは口にしなかったらしい。
私が小6の時に死んでしまった祖父。
とても優しかった祖父。
私は祖父のことが大好きだった。
戦争が終わり、新しい事業にも取り組んだがうまくはいかず、大変だったことも聞いている。
祖父はどんな想いだったのだろう。
どんな想いで何も喋らず沈黙していたのだろう。
180度時代が変わり、目指していた夢は全て崩れ去り、
いったいどんな想いで生きていたのだろう。
そう思うと目頭が熱くなる。
■ モノ・お金の第2世代
その子供に当たるのが、第2世代「モノ・お金の世代」、私の両親の世代だ。
私の母は祖父が命を懸けていた戦争のことはまるで知らなかった。
アメリカ、ヨーロッパの文化が大好きで、西洋の食器を集めたり手芸を楽しんでいた。
父は、仕事を一生懸命にする人だったが、借金の肩代わりをして、早くに亡くなってしまった。
まさに、モノと金に埋もれたような世代だ。
■ わけのわからない第3世代
その両親に育てられた第3世代の私。
モノ・お金は生きていく指針にも目標にもならず、何を目指していいのかわからない。
生きていくための哲学も軸もなかった。
そうか。
私はずっと、「本気で思ったことを言葉にもカタチにもできていなかった」ことにとても苦しんでいた。
自分には何かが足りないと思っていたけど、何が足りないかわからなかった。
楽しそうな子を見ると、自分に何か原因があるのではないかと思っていた。
でも、そうでないことがよくわかった。
多かれ少なかれ、多くの日本人がそうである。
戦争で夢破れ、ものづくりもバブルとともに崩壊し、借金まみれの日本。
今の日本人には生きていくための哲学がないのだ。
これは、自分の問題ではなく、
世代を越えて築かれていったもの。
そのことがよくわかった。
初めて今の私と日本がつながったのだ。
じゃあどう生きるの
自分の現在地と日本のつながりがわかり、今まで根がないまま生きてきた私が、今ではズドーンと思い切り根を伸ばせた感覚がある。
そして、さらに葉を広げていくには、生きていくための指針が必要だということが分かった。
それが新しい教育ではないだろうか?
冒頭にも話した通り、コロナのことがあり、世界は行く方向性を見失っている。
私たち個人もそうだ。
生活スタイルも、仕事も人間関係も、今まで通りに戻ることはないかもしれない。
そんな今だからこそ、生きて行く方向性をしっかり見いだすことが必要だ。
日本人というのは一つの集合体に過ぎないのかもしれない。
でも、色々な経験をして世代を繋いできている日本だからこそ、今できることがあるのではないか。
タイトルにもあるように、私は、生きることについて何も考えてこなかった、いたって普通のアラフォー世代の人間だった。
でも、今では生きることや日本の未来を真剣に考えるようになっている。
私たちの子供の世代がよりハッピーに生きられる国や社会を作りたい。
今こそ、多くの日本人と日本の未来について語りたい。
そんな想いを持った仲間と出会いたい。
長文、読んでいただきありがとうございました!
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