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母子移住、タイにした理由~チェンマイ&プーケット2都市に住んでみて①~チェンマイ編

「海外母子移住、なぜタイにしたの?」とよく聞かれる。
初めからタイと決めていたわけではなく、我が家の場合は別の理由でタイを訪れた際 ”気に入った学校があった" ということが発端だった。


そう、出会いは偶然。でも母子移住は必然だったと、今になって思う。

最初のきっかけの話は別の機会するとして、最初の移住先はタイ北部の町チェンマイだった。日本でいう京都のような、ランナー王朝時代の古都。1000年以上昔のお堀や寺院、旧跡が至る所に残る町。とても穏やかな時が流れ、どこか懐かしい気持ちになれる。

毎年秋に行われるコムローイ祭り


次男が入った学校は、IB(国際バカロレア)校で、年々小の2歳~高3まで在籍していた。チェンマイの中でも町から1時間かかる森の中の学校。巨大なキャンパスには、校舎や寮に加え、サッカーコート・クリケット場・プール・テニスコートという設備だけでなく、農場やゴルフ練習場まであった。ここは「生徒の家族3世代でのコミュニティ」を目指していて、保護者が宿泊(長期滞在)できるレジデンスや、学校内で働く人のための生活棟も完備していた。

次男が転入したインター


その広大さゆえ、入学当初は敷地内で迷子になることもしばしば。キャンパス内には川が流れ、ため池のほとりでは、水牛やヤギが生活している。水オオトカゲが出たり、蛇やカエルは日常。最寄りのコンビニまでは車で20分という、文字通り森の中の学校。子どもにとっては、最高の自然環境だったと思う。


そんな長閑な環境のおかげもあってか、入学1年後には、息子を悩ませていたチックは、ほとんど出なくなっていた。本当にこの学校が合っている、思い切って母子移住して本当に良かった・・・そう思っていた。


チェンマイは、UNESCOクリエイティブシティにも選ばれているほど、文化的要素が高い町。週末になると、市内のあちこちでクラフトマーケットが開催される。ハンドメイドの織物やアクセサリー、ホームメイドのジャムやパンを売る地元の人が集まり、隣にはオーガニック野菜の市場も出たりする。
毎年冬には、様々な分野のクリエイターが集まり「チェンマイデザインウィーク」という町全体が会場になる大規模イベントも行われる。

チェンマイデザインウィーク2020


発達障害を持つ子どもは、クリエイティブな側面が強いとも聞くが、次男もご多分に漏れずだった。廃材利用ワークショップや油絵、果物のカービングや廃油を使った蝋燭作りなど、機会があれば積極的に参加した。このような環境は、チェンマイ移住の大きな利点だったと思う。


オーガニックフルーツを使った製菓ワークショップ

また、山間部に近いチェンマイでは、山岳民族の人々の文化にも気軽に触れられる。チェンマイ最大の市場、ワロロット近くには「モン族」のエリアがあり、色鮮やかな民族刺繍のバッグや小物を買い求めることができる。町の北部には「首長族」で有名なカレン族が暮らす村(観光特区)があったり、象の保護キャンプに行けば、象使いの部族にも会える。

山岳民族の人々


住んでみて感じたことだが、チェンマイは「様々な人・それぞれの価値観があり、それを各々が受け入れて成立している町」だった。それゆえか、そこに住む人も皆、人を受け入れる余裕があるように感じた。


日本で「こうでなければならない」という画一的な基準を求められ、そこに適応できなかった息子。直接的でなくとも「多様性が認められて当たり前」の環境に身を置くことで、心がほぐれ、彼自身も心地よく思えたのだろう。


チェンマイを含む、北タイは政府による後押しもあって、コーヒー豆栽培が盛んだ。そのため、おいしいコーヒーを出すカフェに困ることはない。
下校後、休日に次男とカフェ巡りをするのも、私たち親子の楽しみの1つだった。他愛もない話をしたり、コーヒーやお店の内装、カップなどについても、二人で感想を言い合う。そして、どちらかが新しいカフェを見つけると「次の休みに行ってみよう」と、小さな楽しみが増える。

カフェでの時間は、私にとって、息子とゆっくり話すための大事な時間だった。このような時間も、チェンマイの環境ゆえに叶ったことだと思う。

ラテアートチャンピオンのカフェにて


心底気に入っていたチェンマイだったが、コロナを機にプーケットに転居することにした。母子移住、タイにした理由~チェンマイ&プーケット2都市に住んでみて②~プーケット編に続く










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