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「挑戦」と「自己表現」の人生

先日ショッピングモールで、小学生世代の子達がダンスの発表イベントをしていた。

ネットではK-POPアイドルが歌って踊ってという動画がたくさん流れてきて、気づいたら長時間見ていることがある。

最近特に、彼らを見て羨ましいなという気持ちや、「自分もやってみたかったな」という思いになる。

元々サッカーを始める前はダンスを数年習っていて、発表会やイベントに出ていた。音楽は、吹奏楽部出身の両親の影響もあり、ドラムを習ったり、ボイストレーニングのスクールに通ったりしていたこともあった。

どちらも、周りの同世代の子に比べたら吸収が早かった。ダンスは発表会でセンターに選ばれたり、ドラムもリズム感を先生に褒められていた。両親は吹奏楽部出身で、子どもの時から音楽を身近に感じられていた。

いまだに「あのまま音楽を続けていたらどうなっていたかな」「ダンスを続けていたらどうなっていたかな」と思うことがある。

でも、小学4年生でサッカーを始めてから、自分の人生における優先順位がガラッと変わった。サッカーと両立できず、ダンスを辞めた。音楽の習い事は並行していたけど、サッカーありきのスケジュールだった。

今振り返っても、自分にはサッカーよりも音楽の方が、元々の素質はあったと思う。音楽に限らず、学校の環境において勉強を含め「周りよりも得意だったこと」は色々とあった。

その中で、そこまで得意じゃなかった「サッカー」を選んで、これまでの人生で膨大な時間とエネルギーを注いできた。

特に中高ではベンチの期間が長く、かなり辛い時間を過ごしてきた。人数が多いスポーツだから、人間関係も大変だった。サッカーを楽しいと思えたことはあまりなかったし、いつでも辞めるタイミングはあった。

音楽を選んでいたら。ダンスを選んでいたら。もっともっと楽しく取り組み、輝けていたかもしれない。より大きな何かを得られて、より多くの人に影響を与えられていたかもしれない。

それでも、私は苦手なサッカーを選んだ。楽しくない、輝けない時間が続いても、辞めることはなかった。

私の人生は、難しい方を選んで、「挑戦する」ことが大事だったのかなと思う。厳しい環境の中で、自分と向き合うこと。時間をかけて自分なりの「型」を作り上げていくこと。人として成長していくこと。そこに人生の意味を見出して、ここまで来たのかなと思う。

もがきながら過ごした中高の時間を経て、アメリカの大学に進学した。競技として女子チームに入る選択肢もあったけど、自分はそこを辞めて男性の中に混じり、より自由なサッカーの環境で毎日プレーすることを選んだ。

そこには本当に色んな国籍の人がいて、人それぞれの「サッカーの形」があることを知った。勝ち負けが先行するサッカーではなく、プレーすることが「自分を表現する手段」となることを学んだ。現地では言葉や文化の壁が大きく、なかなか日常生活で自己表現ができなかった中で、サッカーが自分にとって1番のコミュニケーションツール、自分を知ってもらう方法となった。

ダンスでも音楽でもなく、サッカーを選んだ人生だったけど、結局今自分がサッカーを通じて1番意味を見出しているのは、「自分を表現すること」「人と繋がること」なんだなと感じる。ダンスや音楽を選んだ方が、自己表現はしやすかったかもしれない。でもその感覚を持ってサッカーを選んだことが、今の自分らしさを作っていると思うし、これから他にない「新しい形」を世の中に示せるポテンシャルを持っているんじゃないかなと思う。

挑戦し続けること。自分らしくあり続け、それを表現すること。

この2つが、自分の人生において最も重要なことなんだなと感じた。








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