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058. 小説においての人物造形
3月9日に「ENOTECA online」に載っていた井上荒野氏のレポート&インタビューはあたしの栄養になっている。小説を書きたいと思っている人には刺さる言葉ばかり。
「小説って人物を造形しなくてはいけないんですよね。私は小説を書く際に、ストーリーよりも先にまず、この人はどういう人なのか、ということを考えます。筋を考えていると食事のシーンって必ず出てきますよね。私はそこをものすごく考えます。例えば、女の人が男に何かいやなことを言われた後にひとりでご飯を食べるとしたら何を食べるだろう、という風に考える。それが私にとって人物を造形する、ということなんです。方法は人によって違うと思いますが、これが自分にとって話の中に入っていく方法。例えばそういうときにコンビニでお弁当を買ってくる人であるとか、あるいはイライラしながらも自分でフルコース作ってしまう人だとか。それが一番考えやすいんです。」
これだけ読んでも、荒野さんの言葉が身に染みる。
自分が言葉に出来なかったことを、確実なものとして、すっと心に落とし込んでくれる。
「私が本当に書こうとしているのは、“気配”なのかもしれません。例えば今日ここに来る前に男の人に突然こっぴどくフラれた方が今ここに座っているとして、この空間が彼女に一体どんな風に映っているか、という考え方をするんです。それはもちろん一言では言えない。バカなこと話してるなとか思ってるかもしれないし、そう思っている一方で彼のことも考えていたりするし、ワインがだんだん回ってきて、全然関係ない壁のポスターに気をとられて見てるかもしれない。混沌とした頭の中のことを、“彼女は絶望していた”みたいな一言では言えない。そういうことをなるべく正確に書こうと思っています。多分それが気配。気配と言うと曖昧なものに思えるし、実際曖昧なものなんですが、その曖昧さを私はできる限り正確に書きたいと思っています。」
「例えば絶望しながらも、このワイン美味しいなと思っていたりとか、すごく悲しいのにちょっと変なこと考えているとか、ハッピーなのにどこか違和感があるとか。私はやっぱりそういうことを書きたい。私は本当に自分のために小説を書いているんです。」
あたしは、自分が書きたいものを書いてきただろうかと自問自答した。
記事の中にはこんなことが書いてあった。
『なかには「恋とはひとりでするものだと思いますか?」という印象的な質問も。それに対して井上荒野さんはすかさず、「いや、恋はひとりでするものですよ。だって恋は思い込みですから」と即答』
なに、その即答。お洒落なんですけど。
今日も書くわ。自分のためだけに書く。