055. 作者の意図と作品の雰囲気
読者として、一つの作品の入り口に立ったとき、これは疾走感のあるものなのか、一文章ずつ噛み砕くように読むものなのか予想するが、大体見開き2ページで全体の雰囲気が頭にかぶさってくる。
コロンバニの「三つ編み」は読後、その疾走感に圧倒され、井上荒野氏の「綴られる愛人」は今それこそ噛み砕くように読んでいる。どきどきして一気に読み続けられないが、どんなに時間があいても前回の絵が頭にスッと入ってくる。
疾走感のある方は読み飛ばしているわけではない。表現される文章は的確で、次の頭に浮かぶ絵を見たくてたまらなくなる。
どちらにしても、作者も、そのストーリーや登場人物がどこまで連れて行ってくれるのかと、興奮しながら執筆しているんではないかと思う。こちらは追体験だ。
作者の意図やストーリーの雰囲気は、はじめの見開きで2ページで決まる。
自分も書いていて、読んでいて、身をもって感じる。
書けないのは、頭で考えて実際に書こうとしないからだろう。書き出して始めて気付ける登場人物の心だってきっとある。
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