こころに吹く風
前回、季節を体に染み込ませるように暮らしたくて岐阜に来た、と書いた。
岐阜に居なくても、東京でも沖縄でもニューヨークでも、どこにいたってそんな風に暮らしている人はいる。
余白がある人。
ぎゅうぎゅうに心や体が目の前のことで詰まっていなくて、風が吹き抜けるような隙間が空いている人。
そんな人を見ると、とてもうらやましくなる。
わたしはその余白をつくるのがとても下手だ。
文章を書いたり、詩を読んだり書いたりすると、その隙間が空く。すこしだけ息がしやすくなる。
いつも風が吹いていればいい、とおもう。
どんなに寒くても、部屋の窓も車の窓も開けっ放しにするのは、本当はこころに隙間が欲しいのだとおもう。
そして、どうやらわたしは仕事の美学みたいなものを持っているらしい。
いつの間に形成されたわからない、これは、きつくこころを縛っている。
できるかぎりきちんとやること。目の前のことに集中してやれば、次の道が開けること。期待に期待以上で応えること。できるだけ愛想良くすること。打てば響くように振る舞うこと。よく考えること。きっとこれらが身を助けてくれたこともある。それを盾にもしくは矛にして進んで来れたこともある。
でも、今のわたしには美しく映らない美学を、手放さないといけない時期に来ている。
こころの余白をつくること。
わたしの余白も、来てくれたお客さんの余白も。そんな風に庭文庫をやりたいの、です。
こうやって書いても、一体どうすればいいのか、まだわからないのだけれど。
とりあえず、文章を書くことにする。
きっといいことがあるような気がする。