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南の島 3

島流しにあってから3日でもうホームシックになった。

そりゃそうだと思う
歌舞伎町にいた女の子が人口5万人しかいない街にきて
繁華街ならば暇な時間に友達と会えたのに
島では友達がいなくて寂しくなった。

もう帰りたい。

場に馴染めなくて仲のいい友達もできなくて、もう寂しくて寂しくて帰りたかった。


寂しくて退屈でラインのタイムラインに

つまらないし帰りたい

と 書いたら ピコン! 

???

「今沖縄いるの〜?俺もいるから合流しよう!」

「え、いくいく!!!」

少しでもこの閉鎖的な空間から出たかった
関東の人と会いたかった、話したかった。

そこにいくと街に何ヶ月も滞在している人たちの集まりだった。

集まっている家は普通のコンクリートの一軒家
ただ、エアコンもないし
床も抜けてるし
一言でいえば「オンボロ家」だったから驚きすぎてしまった…

話を聞いてみると
「この家を自分たちでDIYして民宿にする」という趣旨だった

面 白 そ う  !!!!

目を輝かせて 「あたしもやってみたい!!!!」
と伝えると

「も ち ろ ん い い よ !!!!」

ということで民宿作りをみんなですることになった
片手にビス打ち
片手に釘

夜は夜のお店で働いて
午前中はみんなのところに出向きDIYで民宿作り

という生活をしていた

この作っている家は「エアコン」がない
暑いんだ 暑すぎるんだ

汗をかくことや
努力する事が人一倍嫌いな私でも
楽しく感じた
生きてる!っていう感じを得られて
そこで出会った仲間と親など関係なく友人になることができて

人生で初めて「自分自身」を見て貰えた気がした。

親のことを話しても
こういう風に捉えてみたら?
あなたはどうしたいの?
何がしたいのか時間はあるから考えてみよう

と言うように寄り添ってくれた。
その仲間は今でも大切な友人だ。

この仲間内の中の一人と実は付き合うことになって、2・3ヶ月目で入籍をした。

スピード婚だった。
でも、私は恋愛婚したがどうしても結婚したい相手ではなかった。

相手は16コ上のバツイチ
家もひとりで建てることができたり
設計できたり
この人がいれば遭難しても大丈夫、と言うような人だった。

だから、私は安心したんだと思う。
けれど彼が私以上にメンタルが崩壊している人だと気づいたのは、入籍してから1ヶ月後の事だった。

私が入籍したかった理由はいくつかある。
ひとつめは、離婚してる父方の実家の責任から逃げたかったから。

ふたつめは、JWやってるお母さんと「母と娘」としてやり直すきっかけにしたかったからだ。


元々、戸籍から私だけを離籍させて…って手続きをしようとしてた。

そしたら、16コ上の彼が戸籍を切り離すだけで手続きするなら、籍を入れないか?と言われた。笑

ま、それもいっか〜って結婚した私も私だが。
彼も彼ですごい提案を24歳のコにしてるな、と思った。


7月30日
アメリカから沖縄が日本に返還された日。(確か)
この日を選んで入籍した。


が、翌月には離婚を考える日々になっていた。

まず、私の携帯を見るようになってた。
最初はたいして気にしてなかったが、私の元彼と連絡を取りあってたらしく、元彼も状況がわからないまま振り回されることになっていた。

私の母とも勝手にLINE交換していた。
JW親がどれだけ自分勝手でご都合主義なのかわかる方も多いであろう。

だから、私の彼氏とは連絡先交換してもいいけど
旦那とはしてもらいたくなかった。


なのに、気がついたらしてた。

ここから、悪夢が始まった…


夫は元彼に嫉妬をし、隠れてLINEのやり取りをするようになり

私が異性とLINEすることも気に触るようになり勝手にブロックしたりトーク履歴を消す日々

それでも、まあいいか。
と見逃していたら、sex依存性になったの?と思うくらい、妻依存と併せて身体を求められる日々

流石に、異常性を感じて、「距離を置きたい」と話すと飲酒喫煙に明け暮れ始める。

どのくらいかと言うと朝の寝起きから飲むようになり
泡盛1.8Lを毎日あけるようになっていく。

いつの間にか、私の店にもお客さん連れてやってくるようになった。

夫は小さい船で釣り船を出していた。
そこのお客様が私のお店のお客様でもあり、一緒に来ることも何回かあった。

当時は今ほどに、飲酒運転が厳しくないとは言えど
海上での飲酒また、陸上での飲酒運転は重罪で、お客様を同乗させてるなんて言語道断な行動でもある。

そんな非道な行為をしていて私は離婚のタイミングを伺ってた。
そんな私に気づかずに夫はお客様を連れて店に顔を出し、酒を煽り帰っていく。


恥ずかしくてたまらない。
こんなことのために結婚したわけじゃない。
どうしよう。。。と夫が帰って行った扉を見つめながら考えていると1時間後、店内に電話が鳴り響く。

私宛の電話だった。

「○○さんですか?
今、○○ ○○さんが救急車で運ばれてます。
御家族の方で間違いないですか?身元がわからず、判明するのが遅くなりました」

という電話だった。

は?   って頭の中が真っ白になる。

どういうこと?


とりあえず夫は病院に運ばれてるらしい。
そこに行けば何とかなるらしい。

私に電話がかかってくるまでにどうやら
仲間の所にたくさん
警察が足を運んだらしい。


恥ずかしすぎる。

お店にも事情を伝えて
早あがりをさせてもらった。

貴重品だけを持って、病院へタクシーで向かう。


24歳の夏。

どうしたらよいのかわからない事件だった。


病室に駆け寄ると、夫はベットの上で大の字になり、酸素マスクをつけて寝ている。

いびき付きで、だ。


近くによらなくてもわかる。
アルコールの臭いがすごい。

「すみません、○○の妻です。主人はどういった状況でしょうか?」


「なにかありましたか?すごい量を飲んでいて、アパートで倒れている、と連絡があり警察 消防 救急車と駆けつけた次第です。」

「なぜそんな大事に?」

「身分を証明出来るものも、携帯も持ってなかったので、浮浪者なのかアパートの住人なのかの判断がつかず、こうなりました。アパートの方ですか?」

「最近入籍したばかりで、アパートは私の寮です。近々転居の予定で共に生活してました。すみません…」

「そうですか、色々ありますよね。
今回は飲酒運転をしていた訳では無いので、このままおかえり頂いて大丈夫です。」


夫が起きるのを待ち
起きたところで会計をして帰宅しようとした。
保険証も身分証もどこに置いてるのか確認を取らないと、とも思っていた。

起きたらどういう反応をするのか考えつつ目が覚めるのを待った。

思ったよりも早く起きた。
想定外の行動を彼はし始めた。


目が覚めた途端
私の顔を見るなり ガバッ!と起きて
酸素マスクを破り捨て
ベットから脱走して逃げていった。


えっ!?!?!

負けじと私も走る。
捕まえた。

ハァハァハァ…

保険証どこ?

なんで?

支払いしないと帰れないでしょ

支払う必要ない

は?おツム大丈夫?どういうこと?

勝手に搬送したんでしょ、払う必要が無い
放っておけ、そんな金は無い。

と言い放って
私を振り払い
また脱走をし、暗闇に溶け込んで行った。


私は放心状態だ。

どういうこと?もしかして国民健康保険も無いの?え…?

「とりあえず」支払いをしないと、と思って10割負担金額にて払った。

結婚の御祝儀の最初の使い道となった。

1人で家に帰れてるのか、それでも心配をした。

私も戸惑いながら歩いて帰宅した。

玄関をあけ、家の中に入ると、夫はまた酒を飲んでいる。

次はジンだかウォッカだか、、、
コンビニで買ってきたと思われる。
酒を反省もせずに煽っていた。

泣きながら私はどうして?と尋ねた。
期待してた返答はない。
腹が立ちすぎて殴りかかった。
それでも反応はなかった。
気づくと私は夫に無理やり行為をさせられそうになり、泣き叫びながらそれを阻止した。

レイプと変わらない。


発作を起こして気を失った私はベットで寝かせられていて、目が覚めると書置きがあった。「仕事に行ってきます」と



え?
飲酒運転…?

それから、お酒をやめて、と叫んでも泣いても聞く耳持たず、息をつく暇もなくずっとアルコールを煽り、仕事に行く日々。

離婚の話をしても聞き入れず、ヤケになると怒鳴ってくる。

1週間たとうとした頃、根気負けしたのか、夫がいきなり「あなたにたくさん迷惑をかけているから、家を出てきます」と言った。


止めることも無く
なんで?それに対して大人としての対応は?と聞いた記憶もある。

回答はもちろんなく無言

一緒に暮らすことにも恐怖を覚えていた私はラッキーだった。

だが、その後夫は
家を出たにも関わらす「心配だから」を理由にストーカー行為を始めることになる。

どこからかアパートを見張りだし、私が帰った頃に差し入れとして「魚」やその他のものを置いていく。

とっても怖い。

LINEも入る。

今日も無事に帰宅できたあなたを確認出来て良かったです。


と…


ホラーだ😭

と感じたその頃には私自身もストレスで体調を崩していた。

離婚するのにあたり、周りに協力を仰がないと難しいことも知り、迷惑をかけ続けておりますが、助けてください。
と、頼らざるを得なかった。

どんどん夫は日が経つにつれメンヘラになっていく。

あなたの為に尽くします
あなたが喜ぶと思って○○しましたよ
あなたが好きな○○です


私からの要望は
貴方が正常に戻り、離婚の話し合いを引き受けてもらうことです…!!!と、思いながら。
離婚に向けて準備をし始めた。

子供は居なかったから慰謝料だとかも要らないし
とにかく離婚して欲しい、が私の希望だった。

役所に相談もした。
警察にも相談をした。
離婚を考えてから半年後、やっと離婚ができた。
サインを書いて貰えた。

役所に離婚届を出した時、担当の方が「やっとできましたか、心配してたんですよ」と言って貰えた。


だけど、心配は尽きない。

私をずっと探し求めて地の果てまでも追ってくる、と思ったから、役所の人に相談をした。

私の居場所がバレないようにできませんか?と


無事に手続きを済ませ、晴れて自由の身になり、私は東京に帰ることにした。
それでも、実家に身を寄せることが出来ても長居は難しいと思った。

その理由は実母が夫とずっとLINEを繰り返し
「娘は正気じゃないだけだから、離婚をしないでやって欲しい。」というようなやり取りがあったからだ。

これのおかげで夫は天狗になり、勘違いを起こし離婚までの期間が長引いた。

いつだって私を売るのは身内だ。

なぜ生きてるのか、生きる必要があるのか、私はどうしたらいいのか。

有耶無耶になって人生路頭に迷いそうになりながらも東京で仕事をしなければならなかった。

この時、借金苦で毎月数十万と返済してたからだ。

ヤケクソだ。
この際、身を売って生活しよう
と 覚悟が決まるまでそう時間はかからなかった。

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