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NHKをみてからの変化

NHKハートネットTV
宗教二世をテーマに報道された2回目を見て私が新たに気づき、現在考察してることを書いてみようと思う。

これはまだ、私自身の見解が今後変わっていくかもしれないが、2023年の冬である現時点で感じている考えだと思ってもらいたい。


以前執筆した

排斥に関して


どうしても先日の放送の時にゴンさんが現役一世の方へ問いた「私が排斥されていたら会うのを悩みましたか?」のような発言。

それに対して現役さんの「……」無言回答

気になりつつも

このニュースをみた



ハートネットで垣間見た、現役さんの反応は至極当然な反応で、実際に排斥された私のようなものを目の前で会うことがあればもっとあからさまに酷く傷つくような反応を示すだろう。
それが、組織の、統治体の指示だから。そう、行動することでエホバの愛を体現するんだもの。そう信じてる現役さんたち。


そして、アーカイブさんが発表したこちら新聞記事を読み私はまた気づく。


「  審理委員会 で私の心は木っ端微塵になったのか  」と

noteを書いておいて私自身まだまだ自分のことに関してはワカラナイ事だらけなんだ。
知っていきたいし
わかって行きたい
向き合って受け入れて生きたい


親からの鞭打ちとはまた別に
小学生の時に教団内でのセクハラ?性暴力を受けてから私は頻繁に何故か日常的にセクハラを受けるようになっていた。

ブックオフやたまに乗る公共機関で、でもだ。
もちろん定期的に教団内で被害にあっている。

抵抗した方がいいとぼんやりと理解していたが、教団内の○○兄弟にも同じようなことされるからなー。
私が悪いのかな?でもどうしたらいいんだろう?母に言うのも恥ずかしいしなー、信じて貰えないし。。。


ということで気付かないふりをすることで自身を護っていた気がする。


が、新聞記事にある内容を見て更に驚いた。

排斥の時の審理委員会も「性被害」の1部だったのか、と。

驚きだった。



先日、たまたま警察の方と話す機会があり、排斥の時にどんな話されるのか?という話題になり、説明をした。



うーん、、、
私は不道徳(要するに不純異性交友)で呼び出されました。
教団の規律で悪行と言われる行為をしたので、反省し教団に帰属したくて要請に応えました。
でも、話の内容は3人の役職持ちのオジサンたちに囲まれて保護者同伴もせず、14・15歳の私が1人で話をしましたね。

警察: えっ!?はっ!?

まあ、どんな内容かと言うと
キスはどっちからしたか、とか
雰囲気を作ったのは私ではないか?とか
相手のどこに触れたか?とか
うーん、事実なんですけど引かないでくださいね。
舌を自ら入れたか?とか角度は?みたいな。
それにどんなフェラをしたか?みたいな…
聞いてるだけでパッと思い描けるほどに鮮明に質問され、答えざるおえない雰囲気になるんです。
赤面されてたオジサンもいましたね。
それでもメモを取っている方も居ますよ。
私自身は音声録音等希望したけどさせて貰えませんでした。
私は小さい時から教団にいたので、まるで親戚の叔父に話すようで恥ずかしかったのと、反省して教団に帰属したかったので、なんでこんなこと聞くの?って不思議に思ってたんですが、、、同時になにかプツンと私の中でおかしくなっちゃって……。

警察:いや、普通そうでしょう。なんでそんな内容を?普通その年頃って興味も湧くし、当たり前のこととも言えますよね?


教団の規律で、異性交友を厳しく取り締まられてます。
男性だとわかりやすいんですけど、自慰行為がダメだったり、エロ漫画すらも読めないですよ?


警察:それってほかの犯罪が起こりえますよね、環境的に


だから、それの被害者だったのが私なんです。
排斥、強制脱会後は村八分また、親の庇護下にも置かれず、当時の言葉を借りるならネグレクト、育児放棄に近い扱いを受けます。
中学生の私は家の中に居場所を得られなくて生きてるのか死んでるのかわからない精神状態に追い詰められます。
友達の家を点々とし、温かいご飯と寝れる場所を提供して貰えるなら、って彼氏作りに勤しみました。その方がまだ、マシでしょう?

警察:そこに好きとかの感情は?

私にはもうわからなくなっていて。
親戚の叔父と立場が近い教団のオジサンたちにそんな質疑を尋問されましたから。まるで警察の尋問に似てますよ!笑

家族愛も親愛も友愛も恋愛も
区別したり、判断する″センサー″がそこで壊れちゃってました。
だから、水商売に足を踏み入れても悪い意味で″ナニモ″感じず、自傷行為の一環として吉原にも在籍することが出来ていたんです。



という会話を先日たまたましてきたんです。
聞いてくれてた警察の方も可哀想でしたが、「ああ、これが普通の人の感性で、私はまだセンサーが壊れているままなんだな」と客観的に感じるきっかけにもなり…。

教団内・外で性被害や性暴力を受け、審理委員会で徹底的に価値観をぶっ壊された私がその後生きるために、一日を乗り越えるために乱れた生活をせざるおえなかった。



そんな私でも現在結婚して家庭があります。


お?愛に関してのセンサー治ったのか?


ってよく勘違いされるんですけど、治るはずもなく、今現在もそのまま壊れた状態です。

心理士の方にこの話をすると泣かれることが多いのですが…。
(本人はセンサーが壊れているためなぜ泣くのか、実感がない)


日常生活において″愛″というものを感じるセンサーが破壊的だと色々と困ることが多いです。

例えば、パートナーと暮らしていても
相手のために○○をしてあげたい。とかもほぼ無いですね。義務感でやってます。

そして、
sexを求められない=愛が薄れた=棄てられる(離婚)が近い

って常に感じてしまい、勝手に脅え顔色を伺いその結果、夫婦の会話すらも出来なくなった事もあります。

Kissやsexがないと自分の存在価値を見いだせなかったりしてパニック発作を起こしたり
(消えたくなったり自傷行為に繋がったりする)

幼い子供が笑顔で寄ってきても「偽善者」としか見えなかったり
新生児のオムツ交換なんてしたら、この子は将来性に関してどう思うんだろう、とまじまじと考えてしまい、吐き気を催したり。

子供に愛を示す「示し方」がわからないし
モノを与えればいいんだ。って思っていたことも長く…。

泣かれれば鞭されていた時のフラッシュバックで更に感情的になり、虐待行為になりかけたり。

可愛いとか愛してるなんて最初の2年くらいお世辞でしかいえなかったです。


そんな中でも、脳内でリフレインするのは教団が言う「幸せな家庭生活」というフレーズ


家庭生活をすればするほど
理想とはこじれていく現実に
私は苦しくなりすぎてしまっていて。

幸せってなんなんだろう
なんで私を誰も見てくれないの?

ってもうめちゃくちゃ(笑)


しまいにはパートナーを傷つける発言や態度へと変わる。

がんじがらめです。
どんどん関係性は冷えていきます。


きっと宗教さえなければ
両親からの愛を一身に受けたでしょう

きっと宗教活動を熱心にしていなければ性被害・性暴力も知らなかったでしょう

きっと宗教に私自身も加入しなければ、価値観が破壊されることもなかったし

きっと宗教が恋しく感じてオフ会に行き、薬物や強姦に近い現実を見ることもなかったと思います。

それを、少なくても10年以上ひきずっているなんて、NHKの特集を見るまで気づきませんでした。


家族で出かけたり
集会のない日常生活が不安に感じたり
違和感に感じたり

私はもう排斥を受けて20年近く経ちますが
未だに人生をかけたトラウマとして残っています。

宗教二世の生活が
脱会したあとの生活が
どんなに生きにくくて
どんなに困難なのか息苦しいか
それでも、人権を求めて教団に戻らず、ひとりで抱えて日々必死に生きているんだって

そんな現実を少しでも多くの人に伝えられたら嬉しいな、と思って書きました。

あくまでも、私の考え ですからね。


わたしの人生を書いてきたけど、こういう二世もるんだよ。って知ってもらいたいので、恥ずかしいけど私のことを書いていこうかなって。

リアルタイムで「今」のわたしが「感じている」事を書いていこうと思います。

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