進路
そろそろ進学を考える時期になってきた。
ドエライお葬式を見てしまった私は、家のために何か尽くせないかと思って進路を悩み考えるようになる。
祖父と最期に話した内容も、「手に職をつけろ」という会話だった。
学校の先生に家業の話をしても当の本人も、先生も
我が家の家業がなんなのかわかってない。笑
そりゃあそうだ。
父は私にとって町工場の社長だと思っていたし
祖父はサッシ屋さんだったと聞いていた。
祖母はスナック経営が最後の仕事だったし、叔父は個人経営の個人塾をやっていた、とだけ聞いていたからだ。
何者なのか全然わからない。
だけど、あのお葬式は会社葬といえど
ただものではないことがわかる。
そういえば、親が離婚しなければ私の進路には海外留学があったのを思い出した。
……もしかして。
と、考える。
もっともっと少ない父との生活の中に何か手がかりやヒントがあるのでは…?
思い返すとひとつだけ思い出した。
父方の人達は天皇家バンザーイ!な雰囲気があった。
昭和天皇の時代の話から、戦争の話をされることが多かった記憶だ。私はエホバの証人だから話を半分しか聞いてなかったけどね。
でもやはりピンと来ない。
父は、副業みたいな感じで、モーター業界にいたと聞いてる。
…もしかして、と思って
過去の思い出を掘り返していくと少し見えてきたものがあった。
いやでもちょっと信じ難い。
それに、どう考えても私が参入出来るような業界でもないし、曽祖父たちを見習って日本に新たな風を吹かせる!なんて話も現実的ではない。
私にできて
周りの人に求められて
なおかつやり甲斐がある仕事
趣味を仕事にするな、という父のアドバイスもあったから、趣味(コスプレ)は仕事にできないし…
やり甲斐のある仕事ってなんだろう、と探していると、小学六年生の時に学校経由で募集があった銭湯でのボランティアを思い出した。
ご年配方の背中を流してあげるイベントだった記憶がある。
私 という 女 でもできて
『ありがとう』と感謝されること
死 や 殺 という単語から正反対の 生 や 楽 と言うような単語が似合う仕事…
なんだろう。
私はオンナだからいずれは結婚するだろうし
子供も産むかもしれない。結婚相手が田舎に住むってなってもできそうな仕事…
祖父の言うように手に職…
なんだろう。
ありそうなのに
見当たらない。
私の知識だけじゃ限界がある。
先生に尋ねてみよう。
希望を叶える職種をいくつか教えて欲しい、と言った。
数日後、学校のパンフレットを見せて貰えた。
先生は
「経営 経済 法学部を選んで、家業の手伝いも現実的だと思ったけど、あなたのやりたい事を考えて、提案できるとすれば、この職はどうだろう?」
と差し出された、
それは
柔道整復師 と 鍼灸師 の文字だった。
じゅ、じゅうどう?
……私エホバだったから運動したことない。
し、
柔道ってエホバではダメじゃなかったけ…?
これこそ、学費なんて出して貰えなくなる…。
しん…なんだこれ?
読めない。
東洋医学? ツボ?
え?ツボ?こないだ資格とった時に覚えたあれ……?国家資格なんてあるの?
海外に行くならアロマやエステの国際認定も勧められたけど、わたしの価値観では日本を離れるとは到底思えない。
誰かが国家資格あれば強いって言ってた。
よし、私もやってみようかな!
そうと決まれば行動は早い。
学校の見学にはもちろん母が来てくれるはずもなく1人で向かう。
母に行きたいんだ、といえば
「無理でしょ」「やれるの?」といわれる。
聞き飽きたセリフたちだ。
それを言われた子供はどう受け止めて
どう捉えて どうなって行くのか
きっと想像力も無いのだろう
高校を選んだ時と同じように
母には強制的に奨学金制度を調べてもらい、手続きを踏み
高校受験すらした事の無い私が専門学校の受験をするようになる。
ほぼ、小学生で止まってる私の学力。笑
よく合格をさせてくれたな、と当時の先生方に感謝しきれない。
実は、この専門学校、入学してから言われたのだが
理事長先生は父のゴルフ仲間だったらしくて
姉妹校の副校長を父が勤めていたこともあったらしい。
コネ入学では決してないが、
どこまでも父と母のしがらみがまとわりつく感じがあって、ゲンナリした記憶があった。
鍼灸師という仕事がなんなのかもわからなかった私が、入学して数ヶ月後、なりたい鍼灸師像を学校代表として語り始めるようになる。
親がどんな親であれ
宗教洗脳があるにしろ
自殺願望が強くて眠剤でフラフラしていてもら
性に関する価値観がとことん歪んでいても
人とはどうなるのか、
全く予想がつかないものだ。