稽留流産 1
稽留流産
ついこの間のように感じます。
稽留流産した時に病室で書き留めた記事をやっと読めるようになり、敢えて誤字脱字のみを修正し、noteに記そうと思います。
私の気持ちのために記します。
忘れない為に。
読んでいて辛い方もいると思います。
でも、この経験がきっかけで多くの医療、福祉に関われるようになり前向きに考えれば私に必要な出来事だったのかもしれない。とそう思えます。
✎︎____________本文
単に悲しい
こめかみが暑くなって
胸や肺のあたりがきゅーっとなる
ありがとうも
どうしよう不安、もあるし
感謝の気持ちしかない
攻めることもない
またきてね、も思えない(jw
教えてくれてありがとう
死にたがりの私に来てくれた
生まれる命
生まれない命
生きる命
生きられない命
生きてしまう命
色々ある
ひとつひとつにありがとうと
感謝の気持ちを
2023.05.20
わたしより
Dear:わが子へ
辛い時に近親者に頼れないって辛い
お母さん にも 旦那にも お父さんにも
そもそもお父さんはエホバで
お父さんはサタンだった
手術室に向かって歩くと緊張してドキドキが止まらない
青い袋を渡される
髪の毛をこの帽子に閉まってください
静かに言われる
手術こちらです
階段登ってベットに座ってください
いきなり、実感してきた
仰向けになると血圧計に
コロナ禍でよく見たパルスオキシメーター
付けられて、
バイバイの時間なんだ
って思うと、目頭が熱くなり
我慢してたけど
涙がツー、と目尻から零れる
看護師さんが手を握ってくれたり
涙拭いてくれるけど溢れてくる。
優しくしてもらえばもらうほど溢れてくるものが止まらない
ドクターが5分ちょっとした頃合に来る、と報告で一気に手術室が騒然とし、準備始める
院長先生だ
分娩台でM字開脚させられる
前回はここから息子に出逢えた。
今日は出会える声が聞こえないんだ
こわい、出したくない。
でも、早く出してあげないと、
出したくない涙が止まらない。
麻酔科医がなにかいってる
よくわからない
痛いかもねーと言われるが何も感じない。
そんな事よりもM字開脚がいやだ。
赤ちゃんに会いたい、切ない悲しい。
麻酔が既に効いているのであろう
酸素?麻酔?マスク付けられてる
ぼーっとして尚且つ少し痺れて
薬の副作用みたいな感覚
痺れていたいわけじゃないから
そのまま流されておくことにした
もう涙で気力もない
焦燥感
このまま手術拒否する勇気もない
なにもない。
ごめん、と思いながら
されるがままの私
何よりも話す気力がない
緊張からか、首に力が入って頭が縦に揺れる
意識と麻酔が戦ってる感じ
一生懸命「スーッ」つぶやくように息を吐く
落ち着け落ち着いて落ち着いて
すると不思議とブラックアウト
体に力入っているだろうけどもうどうにでもなれ
もう無理だ、一生懸命やった。
泣き顔をオペ室の人に見られた。もう無くすものは無い。
ドクターが来てなにやらいってる。
記憶が無くなる
終わる。
気づいたら下着も履かされて
ベットへ移動し、ベットごと部屋に戻ってた
看護師さんが何か言ってる
涙が溢れ出る
上のお子さんはお母さん見てるの?と言われた瞬間正気に戻り麻酔も残る中
JWであることを伝えた
心理士さんもいたら話したいと伝える
流産も、気持ちの整理も、したい。と助けて欲しいと
旦那も寄り添って貰えなくて……と話すと男の人はそんなもんと、口を揃えて言われた
助産師さんは強い。
輸血が怖くて出血を聞くと、大量出血しなかったそうで、無事に終了とのこと。
輸血しないですんだ事に感謝だ
私はまだ囚われている
産めると思って、友達も待機してくれてたことを話す
混乱状態が続く
錯乱してる
ひとしきり話したら寝てまた起きて心理士な話しよう、といわれる
たしかに涙が沢山溜まっている
ぼーっとする
もう一度寝ることなした
ふわふわとするその中で心も体も無になり、
頼れる先が居ないことに寂しさを感じる
鼻水も涙も
点滴に血圧計にパルスオキシメーターついて
めちゃくちゃだ
単に寂しいのと悲しい
気力の限界か夢に落ちた
そこで夢を見た
息子と旦那ともうひとりの子
ちっちゃかった
私が見たかった夢かもしれない
女の子の赤ちゃん
ありがとう、夢でも見れることが出来て
手を繋いでくれて
ごめんね、こんなママで
ありがとう、少し会いに来てくれて
さようなら、また待ってるね
気がつくとそこには看護師さんがバイタルチェックしに来てた
少しスッキリした気がする。お腹すいた感じがわかる。
ありがとうとさようならが錯乱してる。
さっきよりは会話も成立するし意識もはっきりしてる。
お腹の痛みも少ない。
術前に比べて晴れやかな気分だ。
心理士さんがきた。
なんでも話して、と言われたので私は宗教二世であることを自覚してから初めて″一般人″に弱さを話し、弱音を吐いた。
友達には愚痴や不満は言えても弱音は言えない。他人だからこそ、話しやすかった。
友人に恵まれてることも
家族構成も
宗教の話も
流産に関しての思いも
整理出来たけど受け止め方が分からない、と伝えた
心理士は反芻するも、理解を深めていってくれた。
テレビでも扱われるし、産科だからか興味を持って聞いてくれる。
この興味が医学的な探究心であると伝わるからさらに話しやすくて、ありがたかった。
話していくうちに自分が重度の愛着障害だと言うことがわかった。
それに、宗教虐待と言われる鞭の話をしていくことで鞭は愛だと思っていたことにも気づけた。
同時に相手は涙がこぼれている。
心理士にも泣かれてしまっては、自分がいかに過酷な状況で過ごしてきて、悲しくて寂しい時に頼れる親というものがいない、夫が居ないのかよくわかるようになった。
話せる相手がいても私には涙を拭ってもらえる人も背中を摩ってくれる人も胸を貸してくれる人もいない。
だからか、静かに涙をめいっぱいためて
ゆっくりと声を押し殺しながら
大粒の涙を流し泣くことしか出来なかった。
これがいかに悲しくて寂しいのか
この現象を引き起こしたきっかけは「教理」だと思うと
とてもじゃないけど教団に対し許すことは出来なくなる。