過去の傷を引きずる10代
まだ私はエホバの証人であった過去を引きずっていた。
主体性をもてなかったり
プライドだけ高かったり
意見がない。
ホステスの仕事の後に、ふと夜空を見上げると、なんとも言えない切なさを感じる。
なんで生きてるんだろう
女の子が憧れる高層ビル
最上階の夜景ディナーで食べても
「何も感じない」
夜景が綺麗とも
味が美味しいとも感じなかった
ただ単に「お会計高いな…」だけだった
欲しいもの、ある?プレゼントしたい。
言われても
「何も感じない」
言ってくれた人のために、何か言わなきゃと思って、相手の財布事情と私の年頃の子が何を欲しがるのか、貰ったら永続的に使えるのか?など1週間以上かけて悩んで、答えを出す始末。
親に甘えることをしてこなかったから、自分で欲しいものは買うのが普通になってた。
これまでの生活で
実母との距離感はこんな感じになった。
忌避はされるが、新しいお母さんの存在や祖父の死に打ちひしがれる娘、そして父の言葉に傷を負って帰ってきた私に同情したのか、「宗教」の話は全くせず、最低限の会話があった。
毒親の特徴なのか
2・3ヶ月だけの恋人にも母は会っていった。
歴代彼氏たちを知るのは母だ。
仕事(アルバイト)に関しては何も触れなくなった
何故か、性病を無駄に心配されてた。
世間体だろうか。
そんな母だったけど実は、私が排斥されてからは恥ずかしくなったのか、教団とも関わらなくなっていった。
集会も行かない 祈りもしない タバコやお酒を嗜むようになっていき、世の人と変わらない過ごし方をして、母も彼氏を作ったりして
いい歳して青春を取り戻そうとしてた。
一度聞いたことがある。
自分からJWを辞めないの? と
それは、心配し続けてくれる仲間のためにできない
と
悩みながらもハッキリと伝えられた。
ああ、こんなにも私の存在が足枷なのか、と10代中頃に感じたことを覚えている。
付き合ってきた彼氏たちは
主体性がなくて、JWあるあるなプライドの高さを持ち合わす私に身体・精神・経済的DVを行うことが多かった。むしろ、それが普通だった。
やられて黙っておく性格ではないので殴り合いになったり、傷つけられた分、やり返したりしてたけど、相手は何も気にならなかったようで、自分だけ必死に攻撃してた。
そうすることで「お互い様」だと思いたかったし
自分は惨めで可哀想であり
親の愛も育ての親の愛も無くし、忘れなければならないって事実を否定したかったんだ。
彼氏にもお客様にも上手く甘えられずに過ごしてた私だったけど、コンカフェ嬢の時はファンクラブも出来たし、初めて自分の誕生日を祝ってくれる人たちもできた。
親身に心配してくれてたコンカフェのお客様もいて、お店の目を盗み温泉旅行に行ったり、帰る時の送迎をしてくれたり、悩み聞いてくれたり、お客様たちが友達みたいな、お父さんみたいな存在だった。
この時の付き合いは大人になった今も続いてる。
ホステスになってからは、お客様からの愛をプレゼント代、要するに「お金」でしか理解できなくなっていた。
それでも、示し続けてくれていた方もいて、今でも忘れられないお客様だ。
そう、私は生育環境がクs…だったからか、″友達″には恵まれていてお客様でもそんなに変な人は居なかった。もちろんそれは、身売りしてた時も同じくだった。
私は独りじゃないんだ、と そこで自信を持つようになり、落ち込んだ時は遠慮なく頼ってた。
でもそれは、甘える事でもないし
頼りきれていた訳じゃなくて
どこか壁があったんだろう。
友人知人にとっても心配され続けて
週に何回も遊びに誘われ終電までよく付き合ってもらってた。
きっと、私から目を離すと危うい雰囲気があったんだと思う。
その儚さなのか切なさなのかよくわからないけど、それが夜のお店だととても″売れる″ようになった。
お姉さん(先輩)たちのお客様にとても気に入られることが多く、いつの間にか場内指名の本数で上の方になることが多かった。
その分、お店からは信用されたが
その分、お姉さんには嫌われた。
私服を隠されたり
無くされたり
新品の数万もするドレスやスーツもなくし
1足1万円以上する靴もなくなり
仕事バックも隠されたりした。
でも、みんな顔には出さなくてニコニコ笑顔
女の世界とはこんなもんだ。怖かった。
ちょうど、この時期にお姉さんのヘルプについた席でトラブルが起きる。
いつものように、ヘルプとして隣に座ろうとしたらお客様がガバッ!と立ち上がり、「お嬢さん!?」と声を荒げていた。
私はなんのことかわからず、見上げるとライトで照らされた男の人の顔に見覚えがあった。
「…え?」
店内の注目を浴び続けるのも嫌だったので座ってもらうと、その彼はなんと私の父の運転手も勤めていて、当時は父の子会社の社長をしていた人だった。
要するに、家族ぐるみの付き合いがあって
オムツ交換もしてもらっていて
彼の元カノ達も私に仲良くしてくれていた、そんな深い付き合いがあった人が、お姉さんのお客様だったのだ。
ここで働いている経緯を伝えると理解したのか、「すみません……」と謝られ
意気消沈していくお客様
私も盛り上げる事が出来ず気まずい雰囲気になる。
お姉さんが戻ってくると、場を取り持ってくれて安心した。
この時に、銀座のお店を辞めることに決めた。
大切なお客様との思い出があった。
一期一会の大切さを学べた。
エホバの証人であったら学べなかった事や、エホバの証人だったからこそ、夜の仕事ではお客様に接待をして気に入られることが出来た。
それくらい、気配り目配りが身に染み付いていたんだと思う。
この複雑な″経験″を大切に抱えて、銀座の街を出た。
出たけど、一期一会を大切にしたくて
この仕事が楽しくて
夜の仕事の派遣会社に登録し、いろんなお店を転々としていく。
銀座から六本木へと私はさまよっていった。
学校の勉強も忙しくなってきたから、派遣くらいがちょうど良かったのだ。
この後、私は彼氏と遊んでいた時に大きな事故を経験することになる。