映画ゆるし を観て
横浜 黄金町上映に行ってきました。
ネタバレあったらすみません。
まず、観る時に
「自分がどんな可哀想な人生だったかを客観的に知りたい」
「医療の人として福祉の人としてどんな支援ができるか改めて確認がしたい」
と、思ってすごく楽しみにしていました。
ですが、思った以上に私の中で緊張していたらしく、日付が近づけば近づくほど…目に見えない不安に襲われていきます。
私の支援者や主治医には
「どうしてそんなに無理をしてまで見るのか」とすら尋ねられました。
本当は、春の単館上映の時に這いつくばってでも見たかったんです。
ですが、私は産褥期なのもあり行けず見送り
すごくヤキモキしていたからこそ、観たかった。
よくSNSで連絡を取る方々と集まり、映画に臨むと開始1分で
「あ…」
と気づきます。
再現VTRとかでは男の子が中心だけどこの映画は″女の子″が主役
自分を重ねずに観れるか不安になる。
それでも、「ああ、うんあるあるだよね。」と思いつつ観ていたら
え?この時 主人公を取り巻く環境の人たちはどんな気持ちなのか、とか
どう考えるのか、とか
私なりに色々考えついてしまっていたら、無意識に涙がツー…と流れた。
たぶん、主人公に対して「可哀想」と思ったんだと思う。
自分を投影して可哀想、と。
そうしてみて行くと主人公が学校で虐められていく。
あるよね〜あるあるw
なんて軽い気持ちで見ていた時に別の自分がまたさらに呟く。
(この映画の「嫌な 可哀想な 気持ちは幼児期から小学校までに全て味わいつくしてないか?)
私の中で忘れていた「学校に馴染めなかった理由、記憶」が思い蘇る
すると、シーンは進み虐められレイプを連想させられるシーンに。
「だよね〜あるあるw」
などと思っていたかったがもう、自分の記憶に囚われてしまった
逃げて
っていう言葉は すずの 友人を助けるための言葉だけど、言っている自分は1番に助けて欲しかった、わたしなんだよ。
過去の わたし に 逃げて って言われてるようで涙が止まらなくなり
その後、保護者が学校まで迎えに来るけど
処女ではなくなったと思われる娘を見た時のあの顔
あの わたし より サタン と エホバ なんだって
理解せざるを得なかったあの表情
すごく、ショックだった
すごく、身に覚えのある顔
サタンがあなたの中に入った って言うけど
サタンの誘惑に負けたんだ って言うけど
あなた(母親)だって誘惑に負けたからわたしを産んだんだよね?って人生で1番傷ついた瞬間を思い出してしまった
なんで悔い改めたあなたは良くて
悔い改めたいわたしは許して貰えないの
って
良心の呵責により真実を言わなきゃ良かったの?
助けて、わたしを助けて
って言う時になんで見捨てるの?
お誕生日にベランダで過ごすシーン
私も誕生日に外に出されたことがある。幼稚園くらいのときだと思う
主人公の 「ねえお母さんわたし誕生日だよ…」っていうこのセリフ
わたしも同じ気持ちになったこともあるし
拒絶、存在を否定された時も わたし産まれてきちゃだめだったの? と、強く思った。
だから、死にたくて死にたくて
仕方なかったんだけど。
祖父母宅に逃げ込んで(私も逃げたことがある)
でも、娘が大切だから孫のことも庇いきれなくて、というシーンも私には現実で
(実際に娘が大切だから孫の私を庇いきれないし干渉したくないと宣言されている)
そんなとき、主人公は人生でいちばんしあわせだった頃を思い出す。
そして思い出の場所へ繰り出す
わたしはいちばんしあわせだった頃の記憶をよく自分の部屋で思い出した。
生まれていいんだ、ここにいていいんだ、と暗示をかけるように思い出した。
でも、誰も背中さえさすってくれない。
抱きしめてもくれないんだ。
暖かい記憶を探れば探るほど
暖かい記憶は絶望により消えていく
暖かい記憶を辿れば辿るほど
存在価値がないように思える
当時私はフラッシュバックに耐えられなくて発作を起こしながら自傷行為としてリストカットをしていた。
ツー…と泣けない私の代わりに赤いソレが涙を流してくれてるようで温かい気持ちになって嬉しく感じて「痛み」が″いきてていいんだよ″って伝えてくれるように思えたからだ
どんどん悪化して希死念慮が増えていき
死にたい、生きていたくないまでなり
人生辞めたかったけど、
神様って残酷で辞めたいって感じる人にほど
辞めさせてくれないんだなって感じた瞬間があって″そこ″からわたしは私を棄てて
わたし という 生き物 に 求められている人格を作り 与え わたし を殺し わたし を作り替えた
そんな14~15歳だった。
母はそんな頃の私をこう言う
「排斥されていい意味で人が変わったよね」
だってそれは あなた が求める わたし になるために 私という自我を捨て まわり が 好きになって求める わたし を作ったからね。
今でも本当のあの頃のわたしが
どういう人格者だったのかは闇の中
だから余計
あなたはどうしたい?と言われると言葉に詰まってしまう。自由に過ごしていいよ、とかね。
もしかしたら日常的にも
わたし という 誰からも嫌われない私を演じているのかもしれない。
主人公が幸せだった
自分の存在を認められるそんな過去を思い出し
自死を踏みとどまったのではないか、と私は思ってる。
自死するには過去の幸せな記憶ってあまりにも残酷だ
あのあと、母親の元にかけ戻り2人で大泣きしたんではないか?とまで想像を膨らまし観ていたけど、精神的に限界でエンドロールを途中にして席を立ってしまった。
鏡の自分を見ると目も真っ赤
顔もパンパン
行きも乱れ
視点も定まらない
過呼吸が起きてるのがわかった。
通常だと、このまま自傷行為にはしって、首をかきむしってしまうのだが(昨年の「神の子はつぶやく」見た時はそうだった)
私はひとりじゃない、この会場に仲間がいる。って強く思うことでなんとか呼吸を整えられた。
フラッシュバックだけが落ち着いた状態で
(見た目ボロボロ)
館内に戻ると 館長らしき人物が後ろに簡易イスを用意してくれた。
涙を零しながらトークショーで輸血拒否問題を拝聴してると何故か冷静になれた。
わたし の中で問題なのは
輸血拒否 よりも 性被害 性暴力 忌避 なのだろう
性被害 性暴力 忌避に関しては自分の心をどうケアして
救えばよいかわからない。支援を求めても支援側も戸惑うだろう。
だからこそ、わたしは ″わたし″を取り戻し
わたしに自我を与えたい
誰の目も気にしない
わたしが生きてるだけで価値のある人間なんだと心から思えるようになりたい。
でなければ、私の場合はこの心の傷が癒えないのでは?と思う
まず、わたしはnoteを描き始めてから
二世問題からとても回復したと思い込んでいた。
そう思うことで自分を律したかったのかもしれない。
だけど、結局性被害 性暴力、忌避の問題点によりわたしは回復していないことを知った。
これに気がつけただけでもこの映画を見る価値あったし、見てよかった。
そして、親を許す、それが娘としての役割だと思うよう頑張ってた自分もいたことに気づいた。
映画を見て改めて「宗教は罪だ」「私は虐待児童だ」と認識を得られた。
だからこそ、わたしは親をゆるさない道を選んだ。
お金を積まれても解決できない深刻な問題が忌避にある。
子供が助けて欲しいその時に拒絶される
しかも宗教上の理由で拒絶される
それがどれだけ人格を存在を否定されるのか
お金で解決できる問題じゃない
親をゆるさないって思えた映画だった。
ゆるさない 選択肢を得られた映画だった。
よく、仕事先で二世であることを話すと「可哀想だね」と心からの同情を後期高齢者から貰うが改めて私は「可哀想なんだ」という自覚ができて、声高らかに言いたいのは
こんな大変な思春期過ごしているのだから
回復なんてできなくて当たり前だ。
宗教二世と関わりのある医療 福祉の方は特に見てもらいたい。
虐待児童当事者の方も宗教関係なく見て貰えると思う。
自由を願ったらどんな人生になるのか
言葉で表しきれないものがこの映画にあった。
なんで自分が辛くなるのに見たの
って、自分がどの立場なのか
立ち位置なのか
どんな生活をしてきていたのか
ソレらを客観的に知りたかったし
どう助けてもらいたいのか知りたかった。
二世、三世それぞれの立場や
それぞれの環境がある。
それはいい。皆同じでは無いから
でも、まだ死と向き合う瞬間が
例え1年に1度だけとしても
過去に囚われる感覚があるなら
是非、勇気を持って「二世」であることを告白し行政(市役所)を頼ってもらいたい。
保健所の方々に観て
知ってもらいたい
市役所でいつか
自分は宗教○世です、助けてください
と言えば、福祉の道がひらくそんな時代になればいいなって
改めて思いました。
だから、私は私の経験を気持ちを全て記して残していこうと思う。
あなた は ひとり じゃない
苦しい現在を 助けてくれる未来
それが きっとある
未来の仲間に向かって笑って精一杯生き抜いて欲しい