初めての彼氏
時は変わり、排斥から半年以上経ったとき
わたしはまだ中学2年やそこらだったと思う
この時、すごくオフ会にハマっていていろんなオフ会に顔を出していた
たまたま、何かのオフ会に参加してそこで出会った友人とは今でも良い付き合いをすることになる。
変なオフ会はあれだけだった。笑
今思うとあれは一次会で帰ればよかった〜と思っている。
二次会以降参加してしまったのは自分の責任だと思っているので、さして重要視してないのもある。
オフ会が気に入った理由は、同じ話題ができるからとかではなくて
とにかく「いろんな人に会いたい」一心で
JWにいた世界から飛び出す(忘れる)ためだった。
フリフリの服を着たわたしを嫌な顔せずに受け入れてくれるから好きだったし
(当時の流行でもあった)
親は?とか聞かれても深い話をしてこないのも
(忌避されていることに気がついてなかったので親の離婚が原因で家出してる、と言ってた)
説教されないのも好きだった
(後日確認すると何人かが察して配慮してくれていた)
オフ会で出会ってよく遊んだのは元OLさん
彼女は何も聞かないし言ってこない。
逆に年齢は気に留めていてくれていたけど、いろんな遊び方を教えてくれていた。
年上の女性のお友達は初めてだったし、親子ほどの歳の差があったにも関わらず同級生のように楽しく過ごさせてもらった。
彼女を取り巻くコミュニティができていて
彼女の隣にいつもいたわたしはみんなに受け入れてもらってた。
家に帰りたくない時は彼女の家に泊まったりしてた。不思議と安心して眠れる場所があるとお金にも執着しなくなるみたいで、変な仕事をしたい、という気持ちも薄れていた。
彼女も持病があってか病気がちでちょうど休職中。
お昼にビリヤードやダーツに行ってみたり、居酒屋ではなくOLさんが行くようなおしゃれカフェに行ってみたり、丸の内を散策したり、とにかく新しい経験をさせてもらった。
こうしてやっとのことで一息つける場所を得たわたしは原宿に元気に行くようになる。
原宿では「カメラ小僧」と呼ばれる写真を撮ることが好きなおじさんがいたり
同じような服装が好きな同世代の友達ができたり
年上できちんとした会社役員の人だけどゴシックが趣味だったり女装が趣味だったり(ちなみに可愛いw)
ヒモ生活送る男の子がいたり
宗教二世の子もいたりいろんな人がいて
もちろんその中にはそういうファッションアパレルで働いてたり
グラビアアイドルの子がいたり本当に様々な背景がある人たちのたまり場だった。
心が少し落ち着いてきたのか、進路も考えるようになっていた。
母には高校行かずに就職する、と言っていたけど
母が泣きながら「お願いだから高校に行って」と言われたので条件を出した。
「通いたいと思える学校に学費関係なく通わせること」という条件で学校選びもしていた。
同時にわたしは人生初めての「モテ期」を味わう
5人くらいから好意を寄せられていた記憶がある。自慢をしたいとかではなく単純にわたしのフラフラする生活を可哀想と思ったのか、共依存できる相手としてわたしが一番の候補になったのか。という感じだ
結局、私自身を見てくれる人はいないのか、なんて少し残念に思いながらも、仕事以外でチヤホヤされるのが初めてで心から嬉しくて恥ずかしかったんだ。だから、楽しかったのを覚えている。
が、わたしの壊れてしまった価値観では相手のことを異性として見ることはできずにいた。
JW特有の人類みな兄弟、エホバの証人はみな家族。みたいな価値観が残っているのか、はたまた愛着障害でわかってないのか、「すき」という感情にとことん疎い。ピンと来ないのだ。
だけど、自分の中で「この人が好きなんだぞ!!」と暗示をかけると好きな気がしてくる。…不思議な感覚だった。
なので返事は敢えてせずにいたら「脱落者」がどんどん増えていってたw
最後までアプローチしてくれていた人とつきあうことにした。
この初めての彼氏をRといおう。
R君は7つ年上の男の子
当時は大学生。
背も私と同じくらいでご両親は地方で学校教員していたらしい。
要するに大学進学で都会にやってきた理系エリートボンボンがわたしの初めての彼氏だった。
Rは背が小さいなりに紳士だった。努力してエスコートをしてくれたりわたしが路頭に迷わないように半同棲してくれたり、仕事をしなくて済むように衣食住には特に気にしてくれていた。
高校を決めかねていると勿論相談にも乗ってくれてすごく「暖かい」人だった
そんな優しい彼なのにも関わらず、わたしは発作が起こる度に自殺未遂を繰り返すし、安定剤を沢山飲みすぎてしまう。
発作の内容はもちろん、排斥のトラウマとも言えるであろう、あの日のことだ。
ごめんなさい
生きててすみません
サタンの子でごめんなさい
帰りたい
会いたい 悲しい なんでなの、
と、泣きながら手首に刃物を当てていく。
そんなわたしを隣で見てたからか彼はわたしを軟禁するようになる。
彼は平日は学校でわたしは家の中にいるか、仕事しているか、自傷行為しているかだった。
そんなわたしが嫌だったのだろう
心配と独占欲できっと足に手錠をかけてきたんだと思う。
しかも、1Rの部屋の中を自由に動ける手錠で、そこにまた優しさを感じた。
手錠されることに不思議と恐怖心はない。
トイレも行けるならいっか、程度で
自分は背教者だから奴隷のようなこの姿が「あたりまえ」で「お似合いな姿」とも感じていた。
むしろ暇すぎて日中どう過ごしたらいいのかわからない。尋ねると「PCでアニメ見てて」とのことだった。
初めてのアニメ…!!!!!
手錠されてはいるが、食事にもトイレにも困らない。
人生初めてのアニメが見れる…!!!!!
と喜んでいたのでわたしは嬉々としてこの異常な生活を受け入れるようになっていく
このときを境にとってもヲタクになっていく。
彼とは価値観の違いで喧嘩することも多かった。
わたしもリストカットをやめられなかったし、安定剤の服薬をやめられないのもあって、彼自身もリストカットがどんどん悪化していった。
ついに彼は「ボディカット」にまで行為が進んでいく。そこにはわたしの名前が刻まれていた。
そんな彼と喧嘩の末、わたしから別れ話が出るたびに自殺未遂を繰り返す。
彼との専用の携帯電話も渡された。
これは別れたあとでも、どれだけ使っても何も言わずに支払い続けてくれていた。
「元気な証拠。君が生きているのがわかるだけでそれでいい」とまで言われ別れてからも約2年、支払ってくれたことに今でも感謝し続けてる。
結局、彼とは通信制の高校に進学して
のちに別れる事になる。
彼の優しさはずっと忘れない。
高校までの電車が嫌だと言えば、大学そっちのけで一緒に登下校してくれた。
高校上がって、アルバイトができるようになった時にはバイト先の近くで彼も働いてくれて、疲れてフラフラな体を支えながら帰路についたりした。
わたしのわがままで振ってしまったが、大人になって振り返ると、宗教にがんじがらめになっているわたしと将来を共にしなくて良かったとも感じる。
どうか、ぜひRには幸せでいてもらいたい。
風の噂では、生きているということだけ知ってる。
死ぬまでに1度は再会してあの時の謝罪と感謝をきちんと伝えたい相手の1人でもある。
忘れもしない、わたしの初めての彼氏のお話でした😊
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