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わたしの生き方
″わたし″の生き方
小学生の物心がつく頃に
教団内での性被害にあい
排斥後(奪回後)は忌避をされたため
やりたくも無い今で言うパパ活をし
教団が懐かしく感じ
身の引き裂かれる思いで参加したオフ会では
乱交が目の前で繰り広げられ
私は無意識の中
性被害 と今ではいわれるような事件と密接に関わってきた気がする
そして、1度目の結婚に失敗した今
生きる気力をなくした私は自らこの道を選ぶことになった。
人は、生きることを諦めた時、自傷行為に進むという。
私にとっての最大の自傷行為は
「性風俗」だった
理由は
・親も悲しむ
・自分の人生にも傷がつく
・風評被害含め後戻りができない
なによりも
・性行為しているその間は虚無感で沢山
だからだ。
私は性行為がとても好きな訳ではなかった。
本当に好きな友達は性行為の為の友達を作ってまでしていたし、そういう「ハプニングバー」なんかにも参加していた。
私は、そういった意味では性行為がとても嫌いだった。
ただ、女であるからこそ
親の保護下にいないからこそ
性行為を求められその要求をのまなければならない時もある。
そんな現実を10代半ばで悟ってしまっただけだった。
でも、親の保護下を離れたのは自分だと思っている。
私は教団のルールを破ったので排斥になった。
悔い改め、戻りたかったけどそれは許されない事だったらしい。
身を引き裂かれるほどに後悔をし
悔い改めたつもりではあったが
教団に戻ることは私にはなかった。
「だから」罰を受けるかのように性被害を受けることを受容してきた部分はある。
でも、今回の離婚はまた話しが変わる。
死ぬほど苦しい思いをして絶望を味わった排斥。
心のどこかで頼りにしていた親という存在が助けてくれなかった離婚。
もう私は生きる目的を失っていて
この時既に
わたし という 傀儡 が在れば いいんだ。
という排斥の時に味わったあの気持ちを抱いてた。
なので、死ねないからこそ
生きなければならなくて
生きるためには借金も返していかなければならない。
これじゃ何のために生きてるのかも不明だ。
男に依存する元気もない
気力もない
無気力でも仕事になることは無いか…
探していたらいい歳こいて
パパ活 ができることを知り
パパ活に慣れてきた頃には
性風俗産業になんの抵抗もなくなってきた。
世間的にはもちろん
いい歳して
もっと自分を大切に
そんな事しなくても
と言われることは100も承知だ
だけど、生きて行くためにはほかにどの手段を選べば良いのかもうわからない。
毎週鳴り響く支払い催促の電話
帰る場所もない、家もない。
何をどうしたら良いのかわからない
そう、私は東京でも有名なあの土地で働くことにした。
性風俗産業にはいろんなジャンルがある。
大衆店
高級店 と言うように、だ。
高級店へ働き技術を極めるつもりもない。
高級店を進められたが丁重にお断りをし敢えて、大衆店へ務めることにした。
この土地で1~2年程働いたが
イメージとして持っていた「汚らしい」仕事ではなく
働いてみると至極真っ当な仕事であり、最上級のサービス業なのでは無いかとすら思えるようになってきた。
もちろん 店舗型も出張型
どちらもあるので両方働いてみた。
パパ活のように、個人で働くのと、店舗という後ろ盾がある中で働くこと。
何が違うのかを知りたかったからだ。
もちろん怖い思いもしたし
楽しかった思い出や切ない思い出も沢山ある。
いろんな方々の人生を垣間見ることの出来る仕事だと身をもって経験したからこそ、恥ずべき過去ではないと思えている。
よく「子供がね、お母さんがこういう仕事してたと知ったらどうするの」と言われることもあったが、自分の人生を必死に生きた証拠として率先して教えてあげたいと思う。
宗教二世の中には性風俗産業に携わる女性が珍しくは無いと聞く。
人には過去それぞれあると思う。
私自身がそうだから余計に感じる。
ただ、どんな人生を歩んできた人にも
どんな生活をしてきた人にも声を高らかに言いたい。
生き抜いてきた人生を恥じる必要はなく
自分の人生を自分らしく
納得のいくように生きて欲しい
と
2023年、現在私は過去を大切に握りしめ、それを糧に医療職で働いている。
若いから、
女だから、と雑に扱われてきた人生が今最近になって
若いのにいろんな経験をしてるのね
女性なのに大変だったのね
と言われるようになった。
人生とはいつ どこで 好転していくかわからない。
今が最悪の人でも
過去に囚われている人でも
必ず好転する瞬間は来る、と
14・15歳で親元を離れた私は是非読者の皆様に信じてもらいたい。