見出し画像

12月

気づいたら あっ という間に
11月も終わり
12月に


2023年

もう終わるんですね…


12月と言えば
忘年会
クリスマス
年末年始

エホバの証人が参加出来ないイベントが盛りだくさんです。


排斥してから慣れるのに苦労したのは【乾杯】でした

今思うとなんで乾杯ダメだったんだけ?って感じですが、当時は「カンパーイ」というのすらも抵抗があって心の中で「...乾杯」って言ってたのを覚えてます。

盛り上がるセリフでもある乾杯を言うのが抵抗あったのもあり、JWの「祝い事禁止」的なルールもあったのか、顔つきはいつも暗かったのではないか、と思います。

今でも乾杯って苦手だしね

だけどもまぁ、忘年会という行事は大好きでした。
年に一度の無礼講ということで飲みすぎてもさほど問題視されなかったしね。w


クリスマスに関しては小学生の頃の記憶が蘇ります。

一時期私は「きよしこの夜」の歌にハマっていて、音楽の授業でベルを鳴らすのも好きだったしメロディも大好きでした。

だけど、思わず夜の集会の前後に自転車に乗りながら鼻歌歌ってしまったんですよね。

そりゃ、見つかったら怒られるわけですが。

あまりにもクリスマスの歌を辞める気配がないからか鞭された記憶もあります。

父の影響で「ジングルベル」も好きになったことがあって、歌ってたら容赦なく鞭を振るわれました。

父がクリスマスになるに連れて、
帰ってきたり、欲しいものはある?と聞いてくれてた幼児期を思い出す。

欲しいものを父にいうと母から怒られたり
母に「その欲しいものは誰に買ってもらうの?」と聞かれれば素直に「サンタさんっ」(サンタさんという人がいるんだと思ってた)
と答えれば鞭されたりして欲しいものを言ったらダメなんだ、と理解した幼児期を思い出す。

それでも欲しいものがあればサンタさんに手紙を書くんだよ、と父から聞いたのか隠れてお手紙を書いた。

見つかり、その後母に鞭される

時には、サンタさんに「パパがエホバの証人になりますように」とか書いてたこともあったけど、母に見つかれば鞭です。

思い出すだけでおしりが痛い…


ジングルベール♪って歌うのもダメなんだって覚えたのは、駐車場から父と家に帰るまでの距離の中で歌って帰宅をした時。


「母がサタンの歌を歌うなんて!!!」と
私を寝室に連れていき、鞭をしてきたことから学んだ。


母は覚えてるのかな…


小学校1年とか、まだ年長さんくらいの時かな…?

なんでダメなのか理解も追いついてなくて
怒られて鞭もされ
とりあえずダメなんだ。ということだけを理解したのもこの時だと思う

カウントダウンも最初はダメって言われて
だけど、大好きな父と10・9・8・7...って数えるのが楽しくて父の後ろに隠れながらカウントダウンしたり、あけましておめでとうって、ハッピーニューイヤー言えないから父に向かって言うだけにしたり、自分自身に向かってつぶやくだけになったり。


そうやって工夫はしてた低学年の頃。

お年玉が楽しみで(お年玉は受け取らせて貰えてた)お正月の歌を歌えば母に睨まれ

お年玉を貰っても新年の挨拶は母に睨まれてるのでできない自分は「ありがとうございます」と心を込めて誠意を込めて言う練習するので精一杯だった。

新年の挨拶をしない子供なのにお年玉は貰うから、父の仕事でお付き合いある大人からはとても怪訝な顔つきで見られていたのも覚えている。


ほんと、私が小さい時はまだ父も娘だけでも普通に育って欲しいという願いがあってか、年間行事を教えようと頑張ってくれてた。
誕生日とか七夕とか。


だからか、当時はお年玉を貰う件数や金額もすごい事になっていて。
(仕事のお付き合いのある所に顔を出しまくってた)


いつだったか
お年玉全部か
ほとんどなのかは


覚えてないけど

「いい事」をする為に
褒めてもらうために


お年玉を寄付した


そうすると母は穏やかに喜び褒めてくれ
父はゲンナリとした顔をしたのを覚えている


思っていた両親の反応とは違かったから、よく覚えてる。


金額は確か数万から数十万


私は単純に「いいこだね!」「えらいね!」「すごいね!」と褒めて欲しくて寄付をしたけど
寄付する時の精神としては、「褒めて欲しいから行うのは違う」と言われてた記憶がある。

これが、どんな教理を元にして母も言っていたのかは覚えてはないけど

褒めて欲しいから行うのではなくて本心で行いたいから行った、だから、褒められなくても満足をする。

そう思う事が立派なんだって、そんなことを言われた記憶がある。

だからかわからないけど
喜怒哀楽含む感情の抑制を幼い時からするのが当たり前で

ソレが美徳だと思ってたから今でも実は苦手

プレゼント貰うのも
あげるのも
喜ぶのも
嬉しいを表現するのも

素直に表す事がいけないことだったから



だけどね
世の人、いわゆる普通の生活って

正反対なんですよね

親の言うことを聞く子がいい子だったのに
そうではない

親の言うことを聞かない子が悪い子だと思ってたけど、それは奴隷が欲しいだけだって言われてショックだった。

サンタさんに欲しいものをお願いするのも
神社で神様にお願いするのも
当たり前で

クリスマスソングを歌えば褒められるなんて


エホバの証人の生活と反対すぎて
驚きがまだ隠せない。


普通ってすごいよ!


異世界みたい



ハロウィンもクリスマスも
コスプレを楽しむ日って感覚でしか捉えてなかったけど


普通の感覚って大きく違いすぎて
毎年驚き
戸惑いが隠せない



今年はね
クリスマスツリーを飾ってみたんです。


飾り付けたくさんして
ピカピカ光る電球つけて。

飾り方が悪かったからか
家の中がCLUBみたいになってしまったけど笑

2023年のクリスマスツリー

まだ、この飾りをつけたい!という欲望までは生まれない。でも
ツリーって言えばゴールドと赤でしょ?くらいの🎄イメージは持てるようになったので去年よりは進歩したと思いたい。笑


去年は人生で初めてツリーを買って。
飾るものが思いつかなくて
コンビニくじで当たったディズニーのオーナメント?を飾っただけの
寂しい雰囲気のツリーでした笑

しかも、飾り付け慣れてないから、ツリーがスッカスカwwwww


2022年の我が家


去年に比べれば今年は豪華にもできたし
クリスマスぽくなったかな?


今年は食べてみたいケーキも予約して
ケンタッキー?も予約してみたので
色々と楽しみ^^


エホバの証人を辞めてから
いろんな依存性になりすぎて
日常を楽しむ余裕すらなかった


そんな私も30代になってやっと日常を楽しむ、そんな勇気をやっと持てるようになりました。


まだまだ気持ちは世の人1年生。


クリスマスツリーの方向性がズレてるのも愛嬌だと思うことにしてます笑


残りわずかだけど2023年を振り返ったnoteも書いたり
来年に向けて思うことを書いたり

そんな心の余裕がもてたらいいなって。


ひっそりと感じてます。


読んでくれてありがとうございます😊

いいなと思ったら応援しよう!