あたらしい じぶん
なんだか気分が晴れてきた気がする。
少しだけ元気が出た気がする。
笑顔も少し硬いけど
作れるようになった
鏡を覗いて、あーいーうー…よし。
笑えない
割り箸を咥えてペ・ヨンジュンスマイルの練習をして(当時の流行り)
うん
笑えそうだ。
なにか思い出さないと行けないことがある気がするけど、思い当たらない…なんだったけ…まあ、いいか。
遊びに行くためにお金をもらおう
やりたいことを思いっきりやるんだ
普段はにこにこして
昔、お兄さんにイタズラされたような事をしてお札をもらって。
土日にはまた原宿に行く
みんなでお薬たべたりお酒飲んだり、好きなバンドの話をしたり、好きなファッションを語り合ったり楽しみが沢山!!
あー、楽しみだな
たくさん出会った友達とどう過ごすかとっても楽しみだなあ!♪
数万円の所持金があればこの年齢は全然過ごせてしまうし、わたしは食事をすることよりも、やりたい事ができるのが嬉しくてたまらなかった
人が変わったかのようになった
とっても元気になった
この事を母は
「排斥されて人が変わった」としんみりしながら現在でも語っている。
変わりたくて変わったんじゃない…気付かれない。なぜこうなったのかを考えて欲しかった。
変わるしか無かった。
いつまでもウジウジしててもなにも始まらない
無駄に命を過ごすなら経験をするだけして鮮やかに散ろう。
父には「人脈は金脈」と言われていたのもあり、
「自分が困った時に助けてくれる友達をつくれ」という指示を元に。
友達作りに勤しんだ。
いろんな友達を作った。
お兄さんにイタズラされた事があったからか、稼ぐ事にはなんの躊躇いもなくて、ご飯を食べるためには等価交換だよね!と、思っていた
辛いとか悲しいとかそんな感情すらもない。
1日に何回も、という感じではなくて3日に1度くらいの頻度だった。
土曜日には原宿(橋)に出てカラオケでオールして朝を迎えて
漫画喫茶行ってシャワーしたりマクドナルドで仮眠を取って
また橋に戻る。
こういう遊びを毎週するのが楽しくて仕方がなかった
自然と土曜日になればこの場所に集まり、趣味があったり波長が合う人たちで集まって肩を寄せ合い同じ時を過ごした。
でも、ふとした時に
蘇る
ごめんなさい と 生まれてこなきゃよかった が頭の中を占領する
トランス状態にもなる
うあああああああああああああ っと
よくあるアニメの主人公みたいに狂ってしまう
その都度、呟いてたのは 寂しい 助けて 還りたい だった
わたしは当時流行りのSNSで元エホバの証人のサークルを見つけてしまう
現役の頃は背教者(排斥された人たちのこと)の集まりのサイトは、絶対に見ないように厳重に教えられていた。
そこに寂しさと切なさと興味本位でアクセスしてしまった。
そう、排斥されてから数ヶ月の頃だった