取材
2023年
Xmas終わりました🎅
Xmasの文化がなくて戸惑いが隠せません。
パートナーからは🎁貰えました
ですが、貰う文化もないので「喜び方」がわかりません。
欲しいものは自分で買うスタイルです。
″くれた″その事実が嬉しくて
モノに愛着が湧きにくい…。
気持ちは嬉しいのできちんと感謝は伝えました。
今年はエホバの証人ニュースが沢山でした。
2月末からの報道
それに加え第2波として
11月20日に弁護団が記者会見をし
後日、控えていたアーカイブさんの報道がある、と伺っていたのもあり、取材をお受けしました。
実は、私いわゆる「覚醒」も2023年春頃にしはじめました。
SNSでとある方に「それ○○だよ」とか「こういう〜のがあってね」と色々教えて貰っているうちに気づいちゃったんです、「真理じゃなかった」ことに
信じていたかった。
もちろん、最初は半信半疑でした。
心のどこかで「いや、まさか〜」ハハハ
そんな訳ないよね。と、どこかで理屈を探し納得するために思考をめぐらせてました。
だけど、春頃の報道がたくさんあり
世の中のざわめき方を見て
理解せざるおえませんでした。
正しいと思っていた世界は「おかしかった」の?
私の愛してた「エホバの証人組織はどこに行ったの?」と
心の支えだった教え
過去、費やした日々
私の小さい時の思い出全部
私の中では「与えられた世界」だったけどそれなりにキラキラしてたんです。
7歳くらいまでの思い出が主に、ですけど。笑
引っ越す前までが幸せでした。
マインドコントロールと洗脳も7歳までに完成系になっていたのでは無いでしょうか。
あの幼児期がなければここまで信仰心抱かなかったと思います。
排斥されても心のどこかでは「神様は見ている、ひとりじゃない」という孤独を埋める気持ち。
全部全部
嘘だったことに気づいてはいたけど
理解してしまった2023年。
だけど不思議と傷はつきませんでした。
わたしはね。
自己分析してみてなんでだろう?と考えた結果。
・排斥の時に散々傷ついてきた
(排斥のショックを考えればそれ以上に苦しいものは無い)
・鞭の教育から始まり、我慢することに慣れている
・SNSには寄り添ってくれてアドバイスをくれる人が沢山いる
・やっぱり7歳までの記憶が厳しいルールの中でも輝いてるから
かな、って。
わかりませんけど…何となくそんな感じがしてます。
嫌な記憶は消去してることも多いし
与えられたものの中で喜びと幸せを得るものだ、と言われて育ったので、与えられた組織という世界の中で満足感を見出してたのかもしれません。
それに、私は「人生において後悔はしない、経験にする」をモットーにしてるのでどんな事があっても「ひとつの経験ができた」と思うようにしてます。
「わたし」のひとつの経験が
誰かの力になるかもしれない、とアドバイスを頂きnoteを書いてみました。
出生から
環境から
経験したこと
それら全ては「常識の外」だと感じますが
それでも誰かの力になるかもしれないのなら、と振り返ることのなかった
棄てた私の人生を振り返るようになったのです。
排斥って事実上の「死」とほぼ同じなのでね。
本名をわたしは棄てて
自分の名前も自分でわからなくなるほど
HNや源氏名で生きてきました。
幸せを感じる度におこるパニック発作も
心が分離するような感覚も
「辛かったね」「よく生きてきたね」「頑張ったね」と「親」に言われたかったその言葉を
会ったこともないのに、SNSでの同じ二世やメディアの方々が気持ちに寄り添い、話してくれました。
わたしはね、大泣きしてしまうくらい「ベテル」(日本支部)に入りたかったんです。
その当時の気持ちも忘れてましたが、コチラ↓の記事にあるノート(当時の日記?)を18年振り?に見つけて気づきました。
ノートには直接ベテルでのことは書いてません。
今でも直視することが出来ない日記です。
読める範囲で読んでみると「母」に対して思うことを書いていたようです。
実際は母ではなくエホバの証人の教え、に対して綴るべきだったのでしょう。
ですが、純粋に信じていた私はそれにすら気づくのは30代入ってからになりました。
そして私は何件か取材を受けるようになりました。
声がかかればお受けするようにしてます。
世の人 に 他人 に だれか に
当時の思い出を語るなんてしたこと無かったので、不思議な感覚です。
当時の概要を話すだけではなく
事細かに様々な視野からの質問が来ます。
それに対してなるべく理路整然と回答するようにしました。
もちろん、「当時の記憶」なのでそれを前提にお話してます。
私は自分を可哀想だと思うことは無いです。
もう、可哀想と思う、思いたい自分は風化したのです。
それ以上に辛い事がたくさんたくさんあったような気がします。
今年は稽留流産もしました。
排斥の時と同じか
それ以上に辛い思いもしました。
エホバに頼りたくなってしまった私の心もありました。
それだけ私には根深い問題です。
命とは 復活があると信じなければ、心が持たない。
頭ではアリエナイとわかってるのに。
(気持ちに整理ついたら稽留流産のときの心情も書いてみようと思ってます)
落ち着いて振り返れば「わたしってアホだな〜笑笑」って思ってます。
いろんな事が私には起こった2023年。
noteを最初から読んでくださってる方はご理解頂いてると思いますが、私のネジはどこかで壊れてしまってます。
なので、被害の告発という活動を敢えてさせて頂いてます。
読み手によっては
とても否定される方もいるでしょうし
フラッシュバック起こして辛い方もいらっしゃると思います。
無理して読まないで欲しいです。
自衛が第1です。
わたしの人生で起こったひとつの少女の記録
わたしがわたしを棄てたこと
わたしの人生を証明するなにかが欲しくて書いてます。
その上で、誰かの勇気になれれば…と。
取材を受けて会話をする度に記者の方々の顔色が悪くなっていきます。
話せば話すほど言葉を詰まらせてしまうこともありました。
泣いてくださる方もいます。
私は私の為に泣くことを中学生の時に綴った日記を最後に辞めました。
だからこそ、取材を通して救われることもあります。
取材して頂いた記事や番組を客観的に見ると
新たな気付きも得られます。
人生が白黒じゃなくてカラフルに彩り
世界が少しずつ動いていくのです。
まだまだ未熟なわたしですが、
過去を受止め、未来に向かって走れるようになりたいのです。
2024年はまた様々な動きがあると思います。
わたしもわたしの人生を取り戻すために出来ることをしていきたいと思います。
現役の母と弟がいますが、未練はありません。
冷たいと思われるかもしれませんが、たくさん話し合って歩み寄る努力もしてきました。
友達親子になれた瞬間もありました。
たくさんやれる事はやったので未練はありません。
それよりも自分の「ライフスキル」を得たいです。
2024年のテーマは「ライフスキルの獲得!」かもしれないです。笑
また少しずつ書いて記していこうと思います。
珍しく何が言いたいのか迷走してますネ😇