#1 多様性
私が小学生の頃、多様性という言葉は使われがちで
とても便利な言葉だと思っていた。
「少数派の意見も大事にしましょう」
「異文化交流は大切です」
「自分と違う考えもすぐに否定せず、一度聞きましょう」
そんなことをよく言われた気がする。
今でもこれらのことは大切だと思ってはいるし、
容認できないことはあるかもしれないけれど否定はしない。
(理解と納得は別問題だ)
ただ、心のどこかで綺麗事だなと思ってもいた。
そんな多様性の胡散臭さをはっきり認識したのは、
高校かあるいは大学に入ってすぐの頃だった。
Twitterで偶然みた言葉、
寛容な人は自分に対して寛容でない人にまでも
寛容でなければならないのか
これを突き詰めれば寛容のパラドックスと呼ばれる矛盾にたどり着く。
結論としては、社会が維持されるためには不寛容な人に対しては不寛容でなければならないらしい。
博愛主義者とか、嫌うという心の作用そのものを悪だと思っている人にとってはかなり受け入れがたい話かもしれない。
その時、ふと思った。
これ、多様性にも同じことが言えるんじゃないか。
多様性を認めない人を、多様性の尊重を訴える人は受け入れなければならないのか?
寛容のパラドックスの解に照らせば、答えはNoだ。
多様性に不寛容な人を多様性は認めてはならない。
でないと、多様性は崩壊してしまう。
多様性とは、社会が容認できる範囲で
各個人が自身と異なる性質を受け入れること。
というのが、私の多様性に対する理解であり結論だ。
でもやっぱり理解することと、それを納得できるかは別の問題で
そう理解はしたけど、
なんだかなあ。