日記_夢をみた/死ぬのは悪いことではない
楽しい気分で目覚めた。
夢の中で楽しい時間を過ごせた。
次女が出てきてくれたのである。
見た目はちょっと違ったけど、夢の中では家族で次女だと認識していた。
生きていて、私が近寄るとにっこり笑ってくれた。
かわいいかわいいと言って写真をいっぱい撮った。
わいわいシャッターを切っている時に友人が寄ってきて「次女ちゃんですか?」と話しかけてきた。「そう、かわいいでしょ、寿命は長くないのだけれど」と私は答えた。
現実なら人は戸惑うであろう返しだけど、夢の中では違った。
「そっかー、かわいいねぇ」
「でしょう」
「かわいいかわいい」
みんなでひたすら愛でた。幸せな気持ち。
・・・
「妊婦さんや赤ちゃんを見ても悲しくならないの?」とよく聞かれる。
私の仕事は妊婦さんや赤ちゃんを相手とするから、我が子の誕生死を経験したばかりの人には酷だろうと心配される。
それが自分でもびっくりするぐらい仕事や街中で妊婦さんや赤ちゃんを見ても気持ちは揺るがないのだ。誕生日が一日ちがいの子を見ても「かわいいなぁ」としか出てこなかった。
でも意外なところで悲しみのツボに刺さることがある。
この間は録画した「建物探訪」を見ていた時。シンプルなおうちの階段の壁に、多分ディズニーランドで作ってもらったであろう、額に入った姉妹の横顔シルエットが飾ってあった。次女の大きくカーブを描いた丸いおでこ、シルエットにしたら映えただろうな。あ、これ私の娘たちで作ってもらいたかった、と思った途端ぐわんと気持ちが動いた。
ちょっと前だと長女の通う小学校の就学時支援のお便りを見た時。私は妊娠中期次女に遺伝疾患があるとわかってから、NICU通いを数ヶ月して、長女が通っていた幼稚園に通えるよう手配をし、小学校になる前には家から近い学校に通えるよう事前準備を頑張ろうと思っていた。張り切りすぎて、生まれてもないのに幼稚園での受け入れ体制を相談し、市役所に支援を受ける方法を問い合わせたりした。だけど出産1ヶ月半前に診断が変わり、予後がぐんと悪い方だと判明。思い描いていたお世話はできずあっというまにいってしまった。就学時支援受ける予定だったのにな、と胸の穴が空いたところを再確認。痛い。
思い描いていたことができなくなった喪失ポイントが妊婦さんや赤ちゃんにないんだろうな。
自分でも予想外の悲しみ方で、ちょっと面白い。
人はそれぞれなんだな、と自分のリアクション見ても思う。
・・・
うちの次女は肋骨が大きくならない遺伝子があり、そのせいで肺は大きくなれなかった。肺が大きくならないと呼吸ができない、地球上では生きていけない体。肺がいらないお腹の中では、すくすく大きくなった。
彼女は彼女でパーフェクトだった。
彼女なりに成長し、狭い産道を通り、産声をあげ、落ち着いたら周りをぐるっと見渡し、満足したら目を閉じ、ゆっくりと呼吸が止まった。
できることをやりきって、寿命を全うした。
・・・
死ぬことは悪いことではない、誰にも来るものだから。
次女は悪いことをしていない、だってできることを精一杯していたんだから。
だから夢の中で死が悪いものと扱われていなくてホッとした気持ちになった。
・・・
かわいい次女ちゃん、また夢に出てきて欲しいな。