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留学への始まりの話

こんにちわ、フルート奏者の井坂実樹です。

さて、過去を話すのにもこれがなくては始まらない。
私の留学生活が始まった日の話をしようと思います。
この時の私は、まさか自分がその後フランス、ドイツへ渡り歩き7年も住むとは全く想像していなかったわけですが……。


藝大を卒業するころの私は、正直音楽もうやめようかな~って思っている位凹んでいました。
どつぼに嵌っている感覚があってですね、この先私がフルートを吹いて何になる?って本気で思っていまして。
他大学の方から遅すぎると笑われてしまいますが、卒業時期からエントリーシート書いて就活していました。計画性とは……?

その頃来日されたのが、憧れていたジャック・ズーンさんです。

大学2年生の頃にズーンさんの吹くリノスの歌の音源を聴き、物凄い衝撃を受けたんですよね。

↑それがこれ。もう廃盤かもです。私が初めて知った時もそんな話を聴いた気が
手に入るのはこっちかな

これもすっっっごいんで是非。このWidor 飛びます。(笑)
この音源に憧れてズーンさんのクラスの生徒はWidor吹く率がめっちゃ高いことが分かるのは、後の話です。


前置きが長くなりましたが、ズーンさんについて私がわざわざ長々と語る必要はほぼないでしょう。ボストンフィル・コンセルトヘボウ・ベルリンフィルのそれぞれ1番を吹いていた超人です。

リノスを聴いたあの日から強烈に憧れてCDをかき集めていた私は、来日されたと聴いて飛んでいきました。
それでコンサート終演後のサイン会で、緊張でガタガタ震えながら「レッスンして下さい!」とアタックしたんですよね。全然伝わらなかったの覚えています(笑)何度も何度も言ってああ!と理解した顔になって下さいましたね。
そうしたら良いよ!と言って下さり、2日後だったか3日後だったか、藝大の先輩と2人でお伺いしました。

この時の私は留学する気持ちは全然なくて、寧ろ冒頭お話しした通りにもうフルートも音楽やめようと思ってた程だったので、ただただ憧れの人にレッスンを受けられる……!という単純な喜びだけでいっぱいでした。

レッスン自体は2人合わせて6時間半にも及びました。有難かったですね……。
私外国語本当に苦手でして、これで留学生活始まってから死ぬ思いをするのですが(笑)この時は本当に何も分からなくて、ただただ目の前でズーンさんが吹いてくれる、吹いてくれまくる!!その演奏に圧倒されて、なんてすごい、なんて幸せなんだろう……!となっていました。
ズーンさんからしたら、英語も全然分からない相手を教えるのはとても困ったと思います……。本当に無鉄砲だなぁと振り返って思いますね。先生、大変失礼致しました。

確か……この時持っていったのはイベールのコンチェルトと……あと何か持っていった気がするんですが、アプローチが多彩で目玉ぼろぼろ落ちるかと思いましたし、こんなに自由自在に音楽を奏でる人がいるなんて……と、もう感激で堪らなかったです。

レッスン終わりには「先生のクラスに行きたい……」と口から出ていました。そうしたらズーンさん「君なら来れるよ、おいで!ジュネーブで会おう!」と言ってくれました。まさに忘れられない瞬間でしたね。

それからフランス語学校に通いはじめ、先生が再びサイトウキネンで来日された折に私も小澤塾に参加していたので、時間の合間を縫って受験曲のレッスンを受けました。
その時持って行ったのはJ.S.BachのE-durのSonataでした。良く覚えています。大学2年だかの時に日本音楽コンクールの3次予選まで進んだ時に選曲していたもので、練習沢山してあったのでこれなら、と思っていたのですが……。
先ずE-dur冒頭の駆け上がりだけでもびっくりするほど美しいアプローチを提示されて私は驚愕でいっぱいでした。でも私はそれが上手く出来なくて、物凄く悔しい……!!!!となっていたのを今でも鮮明に思い出します。
この時も「あとはジュネーブでね!」と言われましたね。大丈夫かな私……と不安になりながらも、出会ってから恐らく4カ月程で私はジュネーブに旅たちます。

Bonjour!(こんちにわ)くらいしか喋れずに、若さゆえの特大無鉄砲で飛び立った私がこの後どうなったのか。
それは次回以降またお話ししていければと思います。
またお目にかかれますように!


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