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パリ時代の話①全世界が驚愕した日の話

こんにちわ。フルート奏者の井坂実樹です。

今後は最近の話をご報告しつつ、過去の振り返りを自分のためにもしていこうと思っています。
といっても何から手を付けたら……って感じで時系列とか考えていたのですが、そんなまめまめしい事向いていないので(笑)、目についたところから書いていくことにします。

今回はですね、facebookを見ていたら9年前の今日としてある写真が流れてきて当時の気持ちをぶわっと思い出したので、このお話しをしていこうと思います。
初っ端から暗い話になってしまって恐縮なのですが、真剣な話、くだらない話、日常の話を織り交ぜながらやっていくんで、どうぞお付き合い頂けたら幸いです🌻


2015年。私は当時パリの地方音楽院ピッコロ科というところに在籍し、フランス放送フィル(いわゆるラジオフランスってやつですね)の奏者ミッシェル・ルソー先生に習いながら勉強を続けていました。
有難い事にロームミュージックファンデーション様から奨学生として選出して頂いた頃でもあります。

この年の1月には、シャルリ・エブド社が襲撃される痛ましい事件がありました。ちょうど事件の3日前、靴を買うためにその通りを歩いていた私は物凄くショックを受け、恐怖を紛らわし何とか日常に戻るためにも、友達と沢山会話したのを覚えています。
またそれからのフランス社会におけるテロとの対峙姿勢を見ていて、更に衝撃を受けました。徹底的な対決姿勢で、街の警備体制がぐんと上がりました。

その傷がまだありありと残る中同年11月13日に起きたのが、皆さまも耳にしたことがあると思います、あの『パリ同時多発テロ事件』でした。

私は当日、友人の家を訪ねていました。
食事をして楽しく会話して、そろそろ帰ろうか……と思っていたところ。
携帯が騒がしく鳴り続け、何事かと思って出てみれば開口一番「テレビをつけて!」と言われました。

そこに映っていたのは、最近ようやく自分が住む街として馴染みが出てきた、けれど変わり果てたパリ市内の様子だったのです。

あまりの光景に、これが今私の住む場所で起きていると認識するのもやっとになりつつ、間違いなく大事になった、これはいつまでかかるか分からないとあの混乱の中地下鉄に乗り家路へ着きました。
今思い返せば命の危機と薄皮一枚、隣り合わせだったと思います。

地下鉄の中は誰もおらず閑散としていて、いつも騒がしいパリの地下鉄と思えない程しーんとしていたのを良く覚えています。

震える体を何とか動かして家路につき、そこからはフルートのクラスの友人たちを始め、学校の友人たちともメッセージのやりとりを何往復もしていました。電話もしました。安否確認に皆必死でした。
友人の電話口から発砲音が何度も聞こえました。「目の前の道路で人が倒れている」「血がいっぱい出ているんだよ」と混乱し泣き続けている友人に、大丈夫警察が動いているから、あなたは安全なところに居て、私もついているよと繰り返すことが精いっぱいでした。

数日後学校に行き集会に出席した際に知ったのは、卒業したフルートの元クラスメイトが、バタクラン劇場にて犠牲になったという事実でした。

私は正直これで完全に参ってしまいました。あまりの恐怖に体が竦み、情けないですが動けなくなってしまったんですよね。

同時多発テロから1か月後。このままでは駄目だと思い、ニュースでパリ市民が追悼をしているレピュブリック広場に行くことにしました。

そこで見たのが以下の光景です。

沢山の人々が訪れ、心からの叫びを持ち寄っていました。

自由・愛・尊敬・理想・連携
頭文字でパリとなっていますね
本物の愛と本物の尊重があれば
『私は人間です』
当たり前のことな筈なのに、それがなされなかった

横では147人パリで亡くなった 他の場所でもこれだけ沢山 神は居眠りしている
といったようなことが書かれています

フランス人の方々とシャルリ・エブド事件が起きてから、また同時多発テロ事件が起きてしまってから猶更、この話題について議論と言いますか会話を何度も長くしたのですが、彼らは『言論』に大きな力があると信じているのを強く感じました。
『la plume est plus forte que l’épée - ペンは剣よりも強い』と何度聴いたことでしょうか。
その価値観は恐らく彼らの母国の歴史からも来ているでしょうし、フランスの政治模様を見ていても民衆の言葉がとても大きな力を持っていると感じ、当時の自分はカルチャーショックを受けたものです。
日本人として、悲しいことに失いがちになっているようなものの気がしましたね。

あちこちに見える「Paix - 平和」の文字

平和とはなんだろう、平穏な生活とはなんだろう。
本当の尊重・尊敬とは、いったい何だろう。
私たちが音楽をする意味とは?

そこから私は、より深く考えるようになりました。
今尚問い続けています。


そこから私は、ジュネーブ時代にお世話になっていた方から「一時的に避難しておいで」と話して頂き、一度パリを離れることになります。
その話はまた後日。

あらためてシャルリ・エブド社襲撃事件、パリ同時多発テロで犠牲になられた非常に多くの方々に、謹んで心から哀悼の意を述べさせて頂きます。




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