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私のおばあちゃん(⸝ᵕᴗᵕ⸝⸝)〜1番好きでいてくれた愛〜

こんにちは、MIKIです。ご訪問&ご覧頂き、ありがとうございます!

毎年梅雨時期は、頭痛や憂鬱感に悩まされますが、今年は不調さがパワーアップしている気がします(笑)(- - )ヾ💦

そんな自分ではありますが💦今回もどうぞよろしくお願い致します┏○ペコッ


今回のテーマはこちら↓↓↓

私のおばあちゃん
〜1番好きでいてくれた愛〜

をお伝えしたいと思います。


おばあちゃんってどんな人?


私のおばあちゃんは、母方の祖母のことです。

父方の祖母は、私が生まれてまだ小さい時に亡くなってしまったとの事。

おばあちゃんは、身長が145cmくらいと小さく、ちょっとぽっちゃりした、お茶目な人です。

髪型は、いつもブレない「短髪パンチパーマ」(笑)。髪色は、染めていないのに「黒髪」でした。

眼鏡は掛けていないです。老眼はあったと思うのですが…いつも裸眼でした🤔✨

なので画像の写真は本人ではなく、ちょっとイメージが違いますが😭💦ご了承下さい┏○ペコッ💦

おばあちゃんは働くのが生き甲斐な様で、毎日せっせと外で肉体労働をしていました。だから、肌はこんがり焼けていました*ˊᵕˋ*

基本は明るく元気なのですが、とても短気な性格なようで、娘(私の母)や親族とはよく喧嘩していたみたいです(笑)。

親族はあまり記憶がないのですが、親子のバトルはよく目撃していたというか、日常茶飯事です(笑)。

私の母が結構ヒステリック気質で💦だから、客観的に見ると、「生涯反抗期」みたいな感覚です(笑)。

急かせかした性格の母と、割とマイペースなおばあちゃん。相性がイマイチなのかな〜😓なんて考えています。

私の性格は「マイペース」なので、おばあちゃんとは『マイペース仲間』みたいな感じです。

母はいつもイライラし、私とおばあちゃんはそれに萎縮する(笑)。お互い無意識に辛さを共有し、癒され合ってた様に感じます。

反論も虚しく終わるので、暗黙の了解的に「お互い大変だね」と、心の中で思っていると思います(笑)_:( _ ́ω`):_💧


おばあちゃんとの記憶


自分の記憶に残っているのは確か4歳頃から。かなり断片的ですが何となく思い出すなぁ、というのは大体この頃からです。

まず、おばあちゃんは実家(私のお家)の隣に住んでいました。

同じ敷地内で、元々は母の実家があるので、そのお家のすみっこで暮らしていました。(何か『すみっコぐらし』みたいな表現になってしまった(笑)💦)

表現難しいですが、『半同居』みたいなイメージです。寝る時はお互い別宅で、お風呂は(私の)お家に入りに来る。ご飯は一緒の時もあれば、別々な時もあります。

おばあちゃんは本当は寂しがり屋だから、みんなでご飯を食べる事が好きでした。

だけど何だか…親子喧嘩をするからいつも一緒には食べられない。私はおばあちゃんの事を「ちょっと可哀想だな…」といつも思っていました。

寝る時は別宅なのですが、たまにおばあちゃんのお家にお泊まりに行く時もありました。その時のおばあちゃんは、凄く嬉しそうでした。


おばあちゃんとの思い出は色々あるのですが、小さい頃の記憶だと、小学校低学年の頃によくおばあちゃんと自転車で出かけた事かな、と思います。

おばあちゃんは車の運転が出来ないので、どこに行くのも基本自転車。かなりパワフルなおばあちゃんです(笑)。私の方が先にバテてました(笑)😭💦

よくおばあちゃんの友達の所に遊びに行った気がします、自転車で(笑)。

私は小さい頃、人前では大人しくしていた様で、行った先で「大人しくて良い子だね」と褒められていました。

おばあちゃんは凄く喜んでいました。

まぁ、ここだけの話ですが、小さい頃私がはしゃいでいたら、ヒステリックな母が「うるさい!静かにしなさい!みっともない!」と怒鳴られたのがきっかけで繕う様になった、と私の中では記憶しています(笑)。

あとは、お話し好きで、2人でよくおしゃべりしていたというか、おばあちゃんの話をよく聞いていました(笑)。

おばあちゃんは昔懐かしの話が好きだったのかな?う〜ん、にしてもいつも同じ様な事を話していました(笑)。

おじいちゃん(おばあちゃんの旦那さん)は、私が生まれる6、7年前に亡くなっているので、私は遺影しか(しかも写真じゃなくて油絵(笑)!)見た事がないのですが、いつもこんな事を話してくれました。

「みーちゃん(私)はおじいちゃんの生まれ変わりなんだよ」

と。

なぜかと言うと、おじいちゃんの『命日』と私の『誕生日』が同じなんだそうです。

おばあちゃんは、おじいちゃんの事が大好きだったんだと思います。命日を始め、季節毎に来るお彼岸のお参りを欠かす事はありませんでした。

1番思い出すのは『夏の盆』。夕暮れ時に、夏の虫の声と共にお墓参りをする。帰宅後、お仏壇に手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と唱えながら、いつもおじいちゃんに話しかけていました。

毎年、「あ〜、夏だなーっ」てしみじみ感じていました。


段々時が経ち、私は思春期に入って行きました。中学生になると何だか勉強に目覚めたり、色々1人で集中したり過ごしたりしたいお年頃。

そんな時おばあちゃんは…、変わらず話しかけて来ました(笑)!ブレない(笑)。

「今忙しいのに…話したい気分じゃないよ…」

と心の中では思うのですが、寂しがり屋のおばあちゃんが可哀想にも思い…

「うん、うん」と、一先ず頷いていました。目を見れる日もあれば、私自身がイライラして目を合わせないで頷く日もありました。若気の至り感半端ないです(笑)。

今思うと、もっと気持ち良く会話が出来ていれば良かったな、と反省_:( _ ́ω`):_💦

そんな日もある中でしたが、おばあちゃんはいつも私の事を気にかけてくれました。

「みーちゃん、無理しないでね」

と、机に向かう私に毎日、『私の好きな飲み物』を仕事帰りに買って渡してくれました。


また、毎月『お小遣い』をくれました。両親からは貰った事ないけど、おばあちゃんは昔からお小遣いをくれました。

小学生の頃は「5千円」、中学生から「1万円」。めちゃくちゃ太っ腹でした(笑)!

もう定年を超えていたおばあちゃん。お給料がそんなに高いとは思えないのですが、私と兄にそれぞれ1万円をくれました。

おばあちゃんリスペクト!(T ^ T)✨


私は大学生になり一人暮らしを始めた為、毎日一緒の思い出は高校生、正確には浪人生まで(笑)、でした。

実家が茨城県、大学が北海道。遠距離な上に勉強がハード過ぎて、帰省は年1、2回と少なめに_:( _ ́ω`):_💦

おばあちゃんとはあまり会えないし、話す機会も凄く減りました。

だけど、帰ると凄く喜んでくれました。でも表情は寂しげでした。

おばあちゃん、私以外では家族仲が良くなかったんですよね…。だから辛かったんだと思います。

今思うと、もっと一緒にいれば、笑顔が増えたのかなぁ。。孤独を防ぐべきだったな、と結構悔やんだりします。


大学を卒業し、いよいよ社会人!私は地元に帰らず、東京で一人暮らしを始めました。

おばあちゃんは、一緒に暮らせない事を残念がっていた様ですが、距離が近付いた事は嬉しかった様です(笑)💕

東京で暮らしている時かな?私の両親とおばあちゃんの4人で、千葉へ旅行に行きました。

海辺のホテルだったので、チェックインした後に砂浜にみんなで行きました。

おばあちゃん…、めちゃくちゃはしゃいでいました(笑)!凄く嬉しそうに、笑顔が咲き誇る(笑)💕

その時写真を撮ったのですが、おばあちゃんは、「体をくねらせてピース🎶」していました(笑)。かなり楽しかったんだと思います(≧ω≦)✨

それからは、私は転勤族だったので結局頻繁には会えませんでしたが、お正月休みが貰えた時は帰省し、おばあちゃんと会話をしました。

それでも、「みーちゃん元気にしてるかい?」という軽い会話しか出来ていなかった様に思います。

私が結婚する時、彼をおばあちゃんに紹介すると、

「みーちゃん、良い旦那さんもらって本当にえがった(良かった)なぁ!」

と泣いて喜んでいました。


他にもエピソードはありますが、パッと出てきた思い出はこんな感じです。*ˊᵕˋ*


おばあちゃんという存在


小さい頃はあまり意識していなかったのですが、今思うと『1番大きな存在』だったな、と思います。

『1番安心出来る存在』

何でそう思うかというと、「否定された記憶がほぼない」からなんじゃないかな、と。


元々、家族や親族には恵まれなかった、と私は思っています。母はいつも怒ってしたし、心から褒められた事もないな、と感じていて…。

だから私は劣等感をたくさん持っているし、ネガティブ(笑)💧


だけど、おばあちゃんがいてくれたお陰で私は生き延びていたのでは?と考えるくらいです(笑)。


『おばあちゃんが幸せを分けてくれた』

こんな風に感じています。


「否定されないと人は安心する」
「安心感は幸せの根源」

こう考えると何だか腑に落ちます(笑)。私だけかも?💦💦

生活する中ではいつも恐怖感や不安感が強かったけど、おばあちゃんと話す時はホッとするし、笑い合える*ˊᵕˋ*


母から聞くと、おばあちゃんはいつも私の事を心配していたようです。

「みーちゃん勉強し過ぎでおかしくなっちゃうんじゃないの?」(笑)💦💦
「みーちゃん元気にしてっぺか?」←茨城弁
「みーちゃん頑張りすぎだから無理させんなよぉ、オラ心配だっぺよ〜」


ちょっとふざけちゃいましたが、おばあちゃんはバリバリの茨城弁なので、そんなに表現は離れてないです(笑)😭✨

私もおばあちゃんをずっと心配していたので…

『相思相愛』

って事にしておきます(笑)✨


いやぁ、しかしながらおばあちゃんはほんと『神』(´-ω-`)✨

今もまだ、おばあちゃんレベルの人は私の傍に誰もいないですね(笑)。逆に奇跡(笑)!✨


おばあちゃんの今


そんなこんなな私のおばあちゃん。今どうしているか?というと、「死去」してしまいました(´;ω;`)

本当に「神」になりました。←不謹慎(。 ー`ωー´)/バシッ💦

あれは確か、「2011年3月」で「享年79歳」でした。東日本大震災があり、その1〜2週間後に亡くなりました。

今回みたいによく思い返すんですよね(*´ω`*)楽しかったなぁ、って。

よくある話かも知れないですが、会ってない時期が長かったから、「しばらく会ってないなぁ」と言う感覚になる時もあります。


でもしばらく考えていると、

「ふと涙が溢れてくる」

自然と零れてくるから不思議です。悲しいけど悲しさだけじゃないのです。


『感謝の涙、温かい涙』

どちらかと言うと、こっちの方がしっくり来るかも知れないですね(⸝ᵕᴗᵕ⸝⸝)✨

ちょっと話がズレますが、たまに占い師さんに占ってもらうと、大体「ご先祖の方に守られている」と言われて来ました。

昔は「おじいちゃん」だろうな、と考えていましたが、今だと「おじいちゃんとおばあちゃんの2人」に守られている様に思います。


『おばあちゃん、たくさんの笑顔と思い出をありがとう(❁ᴗ͈ˬᴗ͈))


今日もみーちゃん何とか頑張って生きてます(笑)(ง •̀_•́)ง✨

そしてこれから先も、素敵な思い出に支えられながら生き延びようと思います_:( _ ́ω`):_✨


以上、今回のテーマ↓↓↓

私のおばあちゃん
〜1番好きでいてくれた愛〜

をお伝えしました。『愛』という表現をうっかり使い忘れましたΣ(・ω・ノ)ノ💦すみません😭💧

最後まで読んで下さりありがとうございました!(⸝ᵕᴗᵕ⸝⸝)✨この先いつか、「安心出来る人」が現れてくれると良いなぁ〜、と思います(笑)(´-ω-`)💦


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