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当館収蔵の作家紹介 vol.12 那波多目 功一(なばため こういち)

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当館には近代の日本美術を代表する作品を数多く収蔵しています。展覧会を通じて作品を見ていただくことはできますが、それがどんな作家、アーティストによって生み出されたものなのか。またその背景には何があったのか。それらを知ると、いま皆さんが対峙している作品もまた違った感想をもって観ていただけるかもしれません。
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この連載で今回取り上げるのは那波多目功一氏。2024年11月に文化功労者として顕彰されました。
さまざまな分野から選出された文化功労者を代表して日本画家の那波多目功一氏が挨拶されました。「それぞれの活動を通じて、我が国が文化芸術立国、科学技術創造立国として、またスポーツ立国として繁栄することで、世界の国々から尊敬されるよう、今後も精進してまいります」と。
那波多目氏の作品《白耀》は、現在三木美術館にてご覧いただけます。

《湖上富士》三木美術館所蔵

那波多目功一 (Koichi  Nabatame) 1933-
茨城県ひたちなか市(旧那珂郡湊町)生まれ。院展に落選を続けていた日本画家の父に代わって入選したいという思いから高校2年生で再興第35回院展に出品し初入選を果たす。翌年には日展にも入選。高校卒業後は弟と協同経営する会社での仕事の傍ら父の強い勧めもあって年1回の出品画制作を続けていた。

1972年に師となる松尾敏男に出会い、これを機に制作に対してより真剣に取り組むようになる。この頃は自分の描きたいものが何なのかはっきりと分からないまま、西洋絵画の画風を取り入れるなど、試行錯誤を重ねていたが、1981年、松尾に「自分らしい絵を描きなさい」と言われたことをきっかけに、身近な花をモティーフに対象とじっくり向き合った作品を描き始める。

50代の頃のツツジを写生する姿

時間を十分に費やした写生と、それまでの西洋絵画研究から得た色彩や装飾性が生かされた作品は早速院展で注目されるようになり、1983年の春と秋の院展で奨励賞を受けたのを皮切りに8年間連続受賞という快挙を成し遂げた。1986年より画業に専念し、1990年に日本美術院同人となる。さらに2000年には前年院展に出品した《富貴譜》で日本芸術院賞を受賞、2002年日本芸術院会員となる。那波多目は四季折々の花や風景を主な題材としており、対象と真摯に向き合いその本質を捉えようとする厳しい態度から生み出されたそれらの作品は、写実を基礎としながらも豊かな抒情性をあわせ持っている。

2004年、71歳のときの作品《白耀》三木美術館所蔵 

茨城県天心記念五浦美術館『那波多目功一 牡丹幻想 ー花のいのちに魅せられて』(2008年発行)には下記のようなエピソードが紹介されている。「菊作りの人に頼み、花が咲いたら手を入れず、自然のままに放ったらかしにしてもらいました。その人が、菊は自分の子供と同じだからそんなことはできない、というのを、無理にお願いしたのです。だから花もあまり大きくないし、脇から出た芽や小さなつぼみもそのまま。花のいのちを菊に託し、菊の自然のままの美しさ、花びらの流れるような感じ、それが描きたかったのです。」 

                             [企画・編集/ヴァーティカル 文/三木美術館]

http://www.miki-m.jp/



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