何とかしよう
私のつわりはだんだん顕著になり、1日中ムカムカと吐き気がするようになった。何かを食べているときは少しましになったような気がしても、食べ終わってしばらくするとすぐにまたムカムカが復活する。すっぱいものや、パンやフライドポテトなど決まったものばかり食べたくなるという話はよく聞くが、私の場合は毎日のように味覚が変わるので、これを食べたら楽になるという食べ物もない。そもそも食事量自体も大幅に減ってしまった。仕事中もずっとムカムカするので、色んな味の飴を買ってその日に合わせて選び、周りの人達に気づかれないよう口に含んで吐き気を乗り切った。
仕事は続けるつもりだった。薬局のパートは安定期に入ったら薬局長に相談して、出産前後だけ少し休みを取らせてもらい、何とかして続けさせてもらえるようお願いしようと思っていた。それまでは妊娠していることは誰にも言わないつもりだった。
ところが、ゴールデンウィークに入る前日の勤務で、出勤早々貧血でしゃがみこんでしまった。処方せんを持ってきた患者さん達が座っている待合の中を通り、休憩室に入って少し休ませてもらう。恥ずかしい。何をしているんだろう。早く戻って仕事しないと。そう思いながらも動けずにソファに寝そべっているところへ、薬局長が心配して覗きに来てくれた。
「今日はもう上がっていいよ。明日から連休やし、すぐに病院に行っておいで」
ああ、申し訳ない。本当に申し訳ない。
「薬局長、あの、病院にはもう行ったんです…」
この状況で黙っていることは出来なかった。正直に妊娠していることを話すと、薬局長は驚いて苦笑い。私も苦笑いで返すしかなかった。
「とりあえず今日はもう帰って休んで…」
他の職員さんにも心配されたが「ちょっと貧血になっただけなので、連休はしっかり休みますね」とだけ言って帰った。家の自分のベッドで夕方近くまで横になる。そもそも貧血で動けなくなるなんて初めての経験だった。立ち仕事も多いのに、これからどうしよう。
その後、連休明けに薬局長と話し合い、出産を挟んでも働き続けられるように、本社にかけ合ってもらえることになった。Hクリニックの方は、さすがにこれ以上迷惑はかけられないと思い、出産前に退職させてもらうことにした。
父は連休中もカフェRに行き散歩に行き、その行き帰りで春服や朝食用のパンを買ってきたりした。自分でも意識して、部屋でラジオ体操をしたと言っている日も出てきた。
腰が痛いと言うので、座るときの姿勢が悪いからだよと注意しながらも湿布を貼ってあげていた。ところがある日、着替えの際に湿布を貼り換えてほしいと言うので一緒に父の部屋へ行き、つわりで気分が悪いのを我慢して待っていると、父は着替えずに何やら自分の用事をし始めてしまった。しばらく待っていても着替える気配がないのでだんだんイライラしてきて「湿布は貼るの?貼らないの?」と聞くと「ああ、じゃあ先にしよか」という返事が返ってきた。
先にしよか?貼ってほしいって言うからこっちはしんどいのを我慢して待ってるんやんか。おそらくホルモンバランスの変化もあり、この頃の私は普段以上に気が短くなっていた。父にそのまま怒りをぶつけるが、無視して着替え出したのでさらに腹が立った。
「もう、今日のごはんは作らへん!自分で何とかして!」
怒鳴り散らし自分の部屋に入った私を見て、父はどうするだろうか。もう夕方6時を過ぎているが、自分で何か買ってきたりするだろうか。ちょっとやり過ぎたかな。
そう思いながら居間を覗くと、父は朝食用のパンをほおばっていた。いつもなら夕食の前に仏壇のお茶を淹れることがルーティンになっているのに、それもせずに。
もう、何にキレているのかわからないくらいキレてまた父を怒鳴ってしまう。「わかってます。ごめんなさい」と父はうつむきながら答えるが、絶対にわかっていない。なぜ怒られているのか理解出来なくても、謝れば許されると思っているのだろう。幼い頃からずっと、71年間そうしてきたのだろう。
翌日、食べた後の食器を洗ってくれたり、ガスコンロの掃除をしてくれたりしたが、そういうことを言っているのではない。「まずは自分の身の回りのことをちゃんとしてほしい」と伝えるが、それからも数日間”がんばっているアピール”は続いた。
私達を悩ませている父のこの言動は、広汎性発達障害によるものなのだろうか。このまま父との関係がうまくいかなくなったり、軽度で済んでいるはずの抗がん剤の副作用を辛い辛いと主張し続けて、治療が滞ってしまうのを知らん顔するわけにはいかない。どうすればよいのだろう。
思い切って専門機関の相談窓口に電話をかけてみた。出てくれたのは若い女性の、おそらく臨床心理士の方だろう。
「人によって感じ方に違いがあり、雨粒が当たっただけでも激痛を感じる人もいます。抗がん剤の副作用である手のしびれやふらつきが、周りからは大したことがなさそうに見えても、お父さん本人がどれくらい辛いのかはわかりません」
そうか。軽い副作用でも、父にとっては相当な辛さに感じられるのだろうか。それを我慢して治療を続けろと言うのは、もしかしたら酷な話なのかも知れない。他には、こういう傾向の人は口で説明してもわかりづらいから絵に描いたりして可視化してあげて、など基本的なアドバイスを受けた。高齢者の発達障害となると、専門家でも解説しづらいのだろうか。医師の友人にも聞いてみたところ、加齢による認知機能の衰えに修飾されたりするから正確なデータも集めにくく、また生育暦がわかる人がいないので、まだまだ先にならなければわからないことが多いということだった。
電話ではなく直接相談に行きたいところだったが、平日はほぼ毎日仕事、つわりもあり疲れ切っているので、休みの日でも出歩くのは正直しんどい。自分達で工夫してコミュニケーションを取っていくしかないのか。しかし家族だと距離が近過ぎてどうしても頭ごなしに怒ってしまう。何とかならないのだろうか。今更父を精神科に連れて行くわけにもいかず、どうしようもないというのが正直なところだった。
夫とも、和解して一軒落着、仲良しこよしというわけにはいかず、些細なことですぐに衝突した。父がいる前で夫にキレてしまい「そんなに気に入らないなら出て行け!!」とわめき倒してしまうこともあった。父の事情で一緒に住んでくれているのだから、出て行けなんて言ってはいけないと思いつつも腹が立って仕方なかった。妊娠中でなければ冷静に収められたかも知れないが、私は悪くない、夫が全部悪いと思い込んでいた。夫は腹が立ちつつも我慢して私の話を聞いてくれたので、前のようにこじれずに済んだ。
そんな風にして、3人ともギリギリのところで何とか一緒に暮らそうとしていた。