小豆島旅行2日目
食堂へ行き、朝食をとる。メニューは島の名物、ひしお丼だ。湯豆腐や鮭の塩焼き、出し巻き玉子などおかずも豪華。
「普段、朝こんなようけ食べへんのになあ」
そう言いながら半分ほど食べる父。普段は栄養面から、まんべんなく食べてと言っているが、旅行中は量が多いので好きなものをしっかり食べるように言ってあった。そうすると苦手なほうれん草やひじきなどはちゃっかり残してある。子どもみたいだ。
前面ガラス張りのロビーでコーヒーを飲みながら景色を楽しんだ後、チェックアウト。
宿のご主人が父に「おいくつですか?」と話しかけてくれる。やせっぽっちで帽子をかぶり、杖をついているので、よっぽど高齢のおじいちゃんに見えたのだろう。
「71歳です。今ちょっと病気してて、髪がなくて…」
と私が横から答える。父はニコニコと「また来ます」とご主人に挨拶して、宿を後にする。
宿のすぐそばにはエンジェルロードがあった。干潮のときだけそばの小島との間に道が出来、そこを歩いて渡ったカップルは結ばれるというジンクスがある観光スポットだ。カップルではないので残念ながらご利益には預かれないが、車を止め散策することに。
砂利や貝殻で歩きにくいが、父は杖をつきながら対岸へ渡った。私は隣を一緒に歩きながら、貝殻を拾って父に渡した。波にプカプカ浮いている海藻を拾って「これワカメかな。持って帰ってお味噌汁に入れよか?」と冗談で父に言っていると、通りすがりのおじさんに「ワカメじゃなくてアオノリやで」とツッコまれ3人で笑う。父も笑いながら「ありがとう~」とおじさんに挨拶する。普段そういうことを言わないことからして、相当楽しんでいるようだ。
車に戻り、とある工場へ向かう。
父が勤めていた調味料メーカーの工場だ。せっかくだから行ってみよう、工場を外から眺めるだけでもいいやん、と話していたのだ。
工場の近くまで来ると、車の窓を閉め切っているのにもかかわらず、原料のとても芳ばしい香りがする。
「お父さん、ここやで」
「おお、大きい看板出とる」
夫と私は、以前の旅行で一般客として工場見学をさせてもらったことがあった。父にとっては20年ぶりの訪問だそうだ。工場は建て替えられて新しくなり、当時の様相とはだいぶ変わっているようだった。
外から見るだけで十分、と最初は言っていたが、やっぱりインターホンを押してみようということになった。父が自分でインターホンを押し、応答を待つ。見ているこちらもドキドキしてくる。
「はい」
「あのう、私、荒井といいまして…。10年前に大阪支店で働いていた者ですが、近くまで来たのでご挨拶にと思いまして…」
アポイントなしでいきなりやってきて、しかも聞こえるのはもそもそした頼りないおじいちゃんの声なのだから、対応してくれた方は何者だと思ったことだろう。不審者だと思われてしまうのではないだろうか。
「誰に挨拶ですか?」
「いや、誰というわけでもないのですが…」
しどろもどろになりながら説明していると、担当者が門まで行きますねと言われ、出てきてくれたのは何と工場長だった。父が勤めていた頃の工場長の息子さんということだった。
「すっかり代替わりしまして」
そこからしばらくは、○○さんのことはご存知ですか?あの人は今どうしているんだろう?あの支店は今はこうなっていて…と、関係者でないとわからない話に花を咲かせていた。夫と私が参加したのと同じ工場見学もご厚意でさせてもらえることになり、今日は予約は入ってなかったんですがこれから準備しますね、と案内担当の方が急遽対応してくれた。
都会ではこうはいかないだろう。きっと不審者と間違えられて追い返されてしまったに違いない。この島の人達の優しさを改めて感じる。
工場見学は、一般向けなので父が知っていることがほとんどだったが、「知ってます、これも知ってます」と言いながらもまあまあ楽しんでいたようだ。最後の方は疲れてきたのか椅子に座って休憩していた。
帰りがけに工場の前で写真を撮る。「お父さん、よかったね。よかったねえ」と車に乗ってからも何度も何度も言ってしまった。それくらい、私も嬉しかった。人生の30年以上を捧げ、退職してからも夢に見るほど気になっていた会社の工場に来られたのだ。父も満足そうにしていた。車を走らせながら、海を挟んで工場の反対側へも回り、荷出しの船や工場の大きな看板もしっかり見ることが出来た。
昼食のために棚田の食堂へ向かう前に、夫の仕事仲間から頼まれごとがあり、とある空き家を見に行くことになっていた。
その空き家の近くまで車は来ていたが、どうも私の体調がおかしい。お腹に違和感を感じる。隣に座っている父がちょこちょこと話しかけてくるが、それどころではない。
無理して赤ちゃんに何かあってはいけないので、近くに車を止め、夫と父の2人だけで空き家を見に行ってもらった。後部座席に横になり休むが、お腹がぐにゃぐにゃとよじれるような変な感じが続いている。体勢を変えてみても治まる気配はない。
そのうち、下腹部にポコポコと何かが泡立つような感覚を覚えた。お腹の中で何かが動いているような。これはもしかして…?妊娠16週なので、おかしくはない。ひょっとしたら胎動かも知れない!
戻ってきた夫に伝えたら「そんなわけないやん」と軽くあしらわれてムッとしたが、その日からだんだんポコポコは強く、頻度も増えていったので、きっとあれが初めての胎動だったのだろう。赤ちゃんも旅行を楽しんでくれていたのだろうか。
棚田の食堂へ着いた。お腹の違和感はまだ続いていたが、食欲はあった。おにぎり定食を頼む。こちらもかなりのボリュームで、おにぎり2つ、ふしめんの吸い物と小鉢が2つ、あじのフライ、かきあげ、デザートと、私も食べ切れるかどうか不安になるくらいだ。それでも父は、再び「おいしいおいしい」と言いながら、おにぎりとあじとかきあげを平らげた。
が、この後、目を瞑ってはいられない行動を父はしでかしてくれた。
食べられるだけ食べて、後は休憩していた父。私は何とか全て食べ終えたが、あまりにもお腹がいっぱいなので、14時まで休ませてほしいと夫にお願いした。それが耳に入っていたのかいなかったのか、父はすぐに「さあ、そろそろ行こうか」と言い席を立ち始めてしまった。
「お父さんはいっぱい休憩したけど、美紀ちゃんはまだ食べたばっかりやから待ってあげて」と夫。無言で座り直す父。
14時になり夫が駐車場へ車を取りに行っている間、さらに自己中心的な行動をし始めた。歯の間に挟まった食べかすを、食器の上にペッペッと吐き捨てたのだ。周りには食事中のお客さんが大勢いる。「お父さん、ティッシュの上に出してよ」と言っても聞く耳持たず。さらに店を出た直後に「鼻をかみたい」と、持っていた杖を店の手書きの看板に持たせかけた。「ちょっとお父さん、やめてよ」慌てて杖を取り上げる。
さっきまで楽しく過ごしていたのに、何故こんなに空気の読めない行動をするのだろう。
イライラしたが気を取り直し、道の駅で買い物してから、フェリー乗り場へ向かう。とうとう島ともお別れのときがやってきた。
ずっと曇り空だったのに、帰る間際になって日が差し始めた。じんわりと暑い。晴れている小豆島も父に見せてあげることが出来てよかった。
父は何故か車の中で押し黙っている。
「どうしたの?しんどいの?」
「いや、しんどくはないけど…。もう帰るんやなあ」
「何、寂しいの?」
「いや、寂しい言うか…」
「名残惜しいの?」
「…うん」
父の口からまさか名残惜しいなんていう言葉が出てくるとは思わなかった。行く前はあんなに嫌がってたやん!とツッコむと、うふふと笑う父。ああ、本当に楽しんでくれていたんだ。強引にでも連れてきてよかった。本当によかった。
フェリーが来る間、売店でオリーブアイスクリームを買って父と食べた。夫はオリーブサイダーを飲む。
「おいしいわ」とのんびりアイスを頬張っていたが、搭乗口に集合するようにとのアナウンスが店内に流れ、まだ食べている最中の父を急かして店を出、車へ向かう。するとそのとき、手に持っていたアイスが、棒からポトリと落ちてしまった。
「あ…」とつぶやき一瞬立ち尽くす父。私も。最後の一口だったのに。でも仕方ないのでそのまま車に戻った。
急いだものの出発までは少し余裕があったので、最後まで食べさせてあげればよかった。家に帰り着いてからも「あのアイスクリームおいしかったなあ」と寂しそうに言うので、落としたときのまるで子どものような仕草を思い出して笑いが止まらなかった。
「また行ったときに食べたらいいよ」
そうは言ったものの、次があるかどうかなんてわからない。おかしかったけど、反面複雑な気分になった。
また行けたらいい。今度は、孫と4人で。
「ようけ食べたから、ばんごはんはちょっとだけでええわ…」
4時間半かけて20時頃ようやく家に帰り着いた私達は、お茶漬けと枝豆だけの質素な夕食を済ませた。
疲れたと言いながらなかなか寝室に行かなかった父。やはり楽しかったようだ。