誰が、誰に向けて、どこで発信した情報か ~韓国の観光地『景福宮』の情報から考える~
私が景福宮を訪れた日は、大雨と小雨を繰り返す雨の日だった。観たかった守門将交代式と光化門交代式は雨のために中止で残念だったが、1日に2回行われる無料の日本語ツアーに参加することができた。しかし、なんとお客は私一人。流暢に日本語を操る同世代の韓国人女性のガイドさんとのマンツーマンのツアーとなった。
ツアー開始直後に知らされた衝撃的情報
「景福宮は日本に2回破壊されていますが、ご存じでしたか?」と聞かれ、キョトンとする私。特に嫌な感じもなく、さらっと聞かれたこともあって、どのように反応して良いのか迷ってしまった。ガイドさんは淡々と、1回目は1592年の文禄の役の時に豊臣秀吉が破壊したこと(注1)、2回目は第二次世界大戦の時に日本軍に破壊されたこと、そしてちょうど今説明を聞いているこの場所に朝鮮総督府が建てられていたこと、1990年に朝鮮総督府が取り壊されたことを説明してくれた。
それを聞きながら、私は「なぜ私はその情報を事前に知らなかったのだろう」と考えていた。
注1)別の説もある「景福宮を焼いたのは豊臣秀吉でなく朝鮮民衆蜂起だ」※私は歴史家ではないので、それぞれの説に対する見解はわかりません
日本人が日本の観光客向けにガイドブックに書いた情報
私はガイドブックの定番である地球の歩き方のファンであり、ネットが普及した今でも購入することが多い。基本的な情報が網羅されており、事前リサーチの時間削減につながるからだ。景福宮は地球の歩き方にこのように書いてあった。
なるほど。1592年に焼失した理由が書いていなかったから気が付かなかったのか。ちなみに、欄外で朝鮮総督府について以下の通り書かれている。
韓国人が日本の観光客向けにリーフレットに書いた情報
では景福宮で自由に手にすることができる日本語のリーフレットにはどのように書いてあったのか。
この情報は私がガイドさんから聞いた話とニュアンスが近い。ガイドさんはこのパンフレットを見学者が見ることを前提に話しているので、当たり前と言えば当たり前ではある。
限られた枠にどの情報を入れるのか、それが重要だ
私は地球の歩き方も、リーフレットも、ガイドさんの説明も、否定するつもりもないし、歴史的な議論をするつもりもない。(歴史で「事実」だとされることが国によって異なることはよくある話だ)。ただ、ここからわかるのは、誰が、誰に向けて、どこで発信した情報か、が違うことで、情報の切り取り方が少し変わる、ということである。本やリーフレットは物理的に載せられる情報に限界があるのでなおさらだ。
地球の歩き方であれば、きっと韓国旅行を楽しんでもらおう、という気持ちで編集されているはずなので、戦争について触れることを避けるのは不自然ではないと思う。
リーフレットについては、これまで景福宮で何が起こってきたのかを多くの人に知ってほしいという想いで編集されているのだとしたら、このような表現になることもまた、あり得るのだと思う。そしてそこで働くガイドさんはそのリーフレットを基に補足情報を伝えてくれることを考えれば、彼女の説明に何ら不自然な点はない。
これはすべての情報に言えることだが、その情報がなぜ発信されているのか、発信者の意図を考える必要があることを示している。情報は表面的に受け取るのではなく、もっと立体的に理解するべきものだ。
現地のツアー参加がおすすめ
この日の景福宮のツアーに参加したのが私一人であったことからもわかる通り、それほどガイドツアーに参加する人は多くないらしい。でも私はツアーに参加して大満足だった。韓国人の考える日本、が少しわかったような気がしたからだ。そしてなにより、私の質問すべてに答えてくれて嬉しかったし楽しかった。景福宮を訪れる人にはぜひ参加してもらいたいツアーだ。
--------------------------------------------------------------
メディア情報リテラシーの普及活動をしています👇
オフライン/オンラインでの授業、承ります
お気軽にご連絡ください☺
Facebook 安藤未希・株式会社インフォハント
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?