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あれから五か月、私はどう生きてるか

あれから五か月
どれから五か月、はい、バリでの一か月からです
すっかりnoteご無沙汰してたけれど、ずっと投稿を頑張っている仲間に刺激を受け、久々執筆です。

いまなにやってんの?

日本語教師の勉強をしています。
オンラインボランティア日本語先生やってます。
HiNativeという語学系アプリで配信やってます。

バリでの一か月の中で、なんというか、完全に本来の自身を取り戻して帰ってきました。本当に恐ろしいほどの闇の中から、よくぞ生還したと思います。

バリでのワークショップで、10種の職業を体験してきましたが、その中で私はライティング、コーチング、SNS運用に興味を持ちました。

帰国したら、コーチングの勉強しようかな、なんて思いながら帰ってきました。

なんだが、滞在中に日本語教師をしながら現地に暮らしている方の存在を知り、「え、なんかそれよくない?」と思ってたんですよね。

人生の中でたくさん興味があったことの中のひとつに、「日本語教師」というのはありました。

元々、そう、三つ子の魂百までとは本当によく言ったものだと思うけれど、子供のころから私は海外に興味がありました。確か学生時代に日本語教師のことは考えたことがある気がします。
昔過ぎて忘れたけれど。

学生時代は夢に見たアメリカでのホームステイを一か月体験し、その後出会ったバリには、当時ノンビザで二か月滞在できたので、長期休みのたびにリュックを担いでは通っていました。

「いってくる」といって、二か月消息不明になる娘。
当時はネット黎明期、いまみたいにリアルタイムで世界中とつながれる時代ではなかった。親は心配だったでしょうねぇ、さぞかし。

旅行会社への就職を夢見たこともあるし、叶わず、小さな商社で貿易事務の仕事をしていたこともあります。
とにかくぶれずに海外が好きだった。

でも、母親が癌にかかったことで、いろいろと、諦めました。

ほいで
ほいでそう、バリのことは諦めたのよね~。

月日は経ち、バリのことはすっかり忘れたことにして生きていた。

そして、時間の関係で詳細は割愛しますが、人生の闇にずっぷりと落ちてしまった。
気になる方は過去記事読んでくださいませ。時間があったらあとで貼っとくね。

それでともかく再起をかけて、バリでのワークショップに参加したわけです。満身創痍で。

久々のバリ、すっかり開発が進み各種お値段爆上がり、なんだか小洒落たお店が立ち並び、一見変わったように見えたけれど、相変わらずバリはバリだった。

本当にお久々のバリだったけれど、一歩空港に着いた瞬間からもう言語スイッチぱちんと切り替わった。

インドネシア語を話す私に、イミグレ職員はいぶかしげな眼を向けてくる。

イミグレ「ビジネス?」
私「いえ」

イミグレ「家族がバリにいるの?」
私「いえ」

イミグレ「何しに来たの?」

私「(なにしにってあんたここ観光地やろ!観光やで、っいていいたけれどお久過ぎて観光のインドネシア語が出てこない、でも今更サイトシーイングとか言いたくない!あ、思い出した観光のインドネシア語!)か、観光。」

イミグレ「観光、へぇ、あっそう。」(いぶかしげな眼は続く)
私「そうです、はいどうも」

ってな感じでイミグレをやり過ごす。
もうバリバリにバリは始まっていた。

たくさんの新たな出会い、13年振りの懐かしの再会。

灼熱の一か月。

巻く、帰国。

コーチングスクールをたらたらと探す私、なんだかやたらと気になる日本語教師養成講座のスクール。

気づいたら、無料参加説明会に申し込んでいた。

即決、とはさすがにできなかったけれど、何人かに背中を押してもらって入学することに。
そして今に至る。

バリで初めて教わったインスタからライバーのお仕事のお誘いも頂き、いまHiNativeというアプリでライブ配信しながら、毎週月曜日にはオンラインでボランティア日本語先生しながら、10月の日本語教育能力検定試験を目指している。

ちなみに先月はインドネシア語検定を受けてきて、今結果待ち。

これを書いている今現在は、日本語教師養成講座の、スクーリングの真っただ中、毎週教案作成に頭を悩ませながら、今を生きております。

これから友達と会う約束があるから雑な終わり方になっちゃうけれどすみません、とりあえずこんな感じでやってるよ。

残りの人生を楽しく生きると決めた、私に幸あれ!
おかげで今とても楽しく生きてます、みんなありがとう!!

またね。




頂いたサポートは、次回の渡バリ時に現地で大切に使わせていただきます✨