すべて忘れてしまうから
年齢とともに、物忘れが多くなるとはきいていた。が、さすがに昨日の夕食を思い出せないと少し焦る。慌ただしい毎日の中で、我が家を巣立っていった子供たちを育てたことさえ、夢だったのではと錯覚しそうになることもある。
これを、夜中に考えると不安にもなるのだが、こういう天気の良い長閑な昼下がりに考えると、まぁ、それもそれとて、思い出したくないことも忘れてしまうのならば歳を重ねるのも悪くはないかな。と、思えたりもする。
そう、忘れてしまうんだよね。すべてかどうかはわからないけれど。
たいした人生じゃないけれど、その時々を悩みながら、休みながら、泣きながら、笑いながら挫折しながら、それでも希望を抱いて、歩いてきたじゃない。今は希望というよりは、趣のある日々を過ごせればそれでいいと思っている。けれど、あと何年かはわからないけれど、何があるかわからないけれど、私の人生はまだまだ続くもの。書いてよかったと思うこともあるかも。
noteを始めようと思ったのは、こういうことだったのかもしれない。
学生時代に好き放題を一緒にやっていた仲間と今でも年1回は集まる。ここ数年は、コロナ禍で集まっていないけれど。住んでいる場所も生活スタイルも社会での立ち位置もバラバラの友人たち。集まれば学生時代の話で盛り上がり、笑いが絶えない。5年ほど前になるだろうか、ホテルで宴会をした翌日に学生時代に過ごしていた近郊を散歩しようと誰かが言い出した。
二日酔いの熟女(?)たちは、渋々、(確かに渋々だった) 散歩することにした。
無言だったのは、二日酔いのせいだけではなかったと思う。
そこで、熟女の一人が泣き出した。みんな「何泣いているのー」と大笑いしながら泣いていた。私も泣いた。言葉なんて必要なかった。だいの大人が6人で泣き笑いしている姿は、周囲の人からみたらさぞかし恐ろしかったことだろう。
私は、この日を忘れたくない。何も言わなくても泣き笑いできる友人たちを忘れたくはない。
何がその人にとっていい状態なのかはそれぞれ違う。
私は、好き勝手することがストレスになってしまうように生きてきたように思う。
けっして、良い意味ではなく。
でも、学生の頃のように、一人でブラブラ旅に出たりはしたいな。
忘れてしまってもいい旅がいいかな。
人生はまだまだ続くのだ。