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個人でも、資格なしでも、技術なしでも、できるアクセサリーメーカー卸の仕事

2000年~2002年ごろ、エスニック雑貨卸から徐々にアクセサリーメーカー卸のような仕事内容にシフトしていった。
私がデザインと生産、一緒に店を始めた友人が営業担当、あとはアルバイトが一人といった零細にもほどがある体制。
会社にもしていなくて個人経営だったが、百貨店やアパレルメーカーさんとの契約もその当時はそれほど難しくはなかった。(今はアパレルメーカーさんも商社がついたり、なんちゃらホールディングスの傘下に入ったりしていて、多少難しいかも。)

地道にセレクトショップや雑貨屋さんに飛び込み営業をかけたり、バイヤーが集まる合同展示会に出展したりして、徐々にお取引先が増えていった・・と言いたいが、実際は増えたと思ったら減ったり、常に自転車をこいでいる状態。まぁ、20年経った今もその状態は変わらないが(涙)

私は旅をテーマに年に2回コレクションを展開・・テーマに沿ったストーリーを考えながら数十点デザインし、カタログを作るだけの、ささやかなもの。

私は彫金は下手くそ過ぎてあきらめた。
たまにデザイン画を描いて、国内の工場さんにシルバーのアクセサリーを作ってもらったりしたこともあるが、工賃部分で合わなかったり、効率よく売れる商品を作ることがなかなかできなかった。
(その在庫が15年以上経った今、何故か売れたりもする)

主に組み立てのアクセサリー(ワイヤーなどにビーズを通し金具と組み合わせる。基本的に火を使わずペンチなどの道具のみで作ることができる生産方法)・・・チェコのガラスビーズ、国産のビーズ、スワロフスキーパーツ、フランスで買い付けたヴィンテージビーズ、天然石などを使って、ストーリー性を持たせてラインナップで作るのは大変だが本当に楽しい作業だった。

技術に関しては少しカルチャーセンターで教えてもらったり、ビーズアクセサリーの先生のワークショップに参加した程度。
その時に作りたいイメージを工場さんに伝えて生産方法を提案してもらったりした。

工場さんはアパレル会社に努めていた親戚に紹介してもらったり、元々お世話になっていたパーツの会社が工場も持っていたので、そこにお願いしたり。
細部にこだわり過ぎて、手間がかかるので、工場さんにはすごく嫌がられた・・たまたま担当の若い女性社員がうちのアクセサリーを気に入ってくださったので、何とか作ってくれていた。
細部やパーツこだわり過ぎたのは、今考えると、本当に自己満足。
売れるか売れないかは二の次だった。

組み立ての工場さんでは一型30個くらいから注文を受けてくれる。
無理やり数合わせで作って売れ残ったものは今でもうちの事務所のどこかに眠っている・・・

その当時はコスチュームジュエリー(イミテーションの素材で作られたファッションに合わせたアクセサリー)が人気で、デパートでも多く取り扱いがあったし、パリの展示会も華やかだった。
うちもあの時、「子供がいるから」と躊躇せず、頑張ってパリの展示会に挑戦していたら・・変わっていただろうか、と少し後悔をしている。
いや、それは言い訳か(苦笑)
結局、今まで〝跳ねた〟経験がないから、これが実力よ(涙)

卸として納品させていただいたのは様々なお取引先。
セレクトショップ、雑貨屋さんへの卸売や委託販売、アパレルメーカーのお洋服に合わせて企画から入らせていただくODM、百貨店のオリジナル編集の売場の別注の提案、通販会社へのオリジナル商品の企画・・本当にいろいろなお仕事をさせていただいた。

コロナ以降、取引先のアパレルブランド自体が休止してしまったりして、ODMの仕事はなくなったが、百貨店のポップアップストアや自分たちで企画するイベントなど、楽しくやらせていただいている。
セレクトショップや雑貨屋さんへの卸や委託販売は今も営業をかけたり、紹介していただいたりして、新規のお客様もぼちぼち増えている。
何故か売上げはコロナ前より良かったりもして。

ODMなど大量の商品を納期にきっちり
不良品なく納品するのは、本当にありがたいしやりがいもあったが、神経をすり減らす仕事でもあったので、今のポップアップストアや、仲良しの業者さんと一緒にイベントをしたりするのは、ただただ楽しい。(体力的には少々つらいが)
お取引先様を訪ねて、お話したりお買い物させていただくのも、楽しみのひとつ。
個人のお客様とお話するのも若いときよりも、構えずに楽しんでできるようになった。

ただし・・売上げは24年間ずーっと低い位置で安定。何となく○十万円の給料を維持できる程度。〝儲かった!〟という経験がない。〝やばい!跳ねた!〟と一度でいいから経験してみたい。
インスタも下手くそ、無駄に年齢だけ重ねてしまった。あっという間に50歳。
一週間のポップアップストアで500万円とか売ってみたい。
100万円で「ウェーイ」てなっているからいつまでもあかんのだ。

こんな長年続けているだけのアクセサリーメーカー卸のゆるい実情をぼちぼち書いていきます。
ワンオペ障害児育児ともからめて、「こんなんでも何とかやってるで」「誰にでもできるで」「なんだかんだで楽しいで」と伝えられたらな、と思っている。

今までの仕事や育児について書きながら、こんなしょぼい自分を少しでも褒めてあげられたら・・好きになれたらいいな、と願いながら。

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