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ダウン症児ときょうだい児、どっちがどうか。


写真は5年前のダウン症次男の妹である、長女の誕生日の時のもの。
誰の誕生日の時でもろうそくを消す時に、ダウン症次男が自分で消したがり、横から吹き消していた。それを「もう1回!もう1回!」と3回くらいは繰り返して。
それも4年生くらいから、自分以外の人の誕生日の時には大人しく手をたたいて「おめでとう~!」と言えるようになった。これも成長やなぁ~。

さて、ダウン症のきょうだい(きょうだい児と呼ばれる)って、どんな感じなのか?
ダウン症次男が生まれた時、確かに咄嗟に「長男が可愛そう」と思ってしまった。
障害児の弟がいると、バカにされたりするんだろうか。
弟の存在を隠すんだろうか・・

ダウン症次男が生まれて、1年9ヶ月後長女が生まれたので、とにかく育児を含めて生活そのものがドタバタで、きょうだいたちの気持ちを気遣うどころではなくなった。
毎日毎日、全員で日々を〝こなしていく〟のみ。気持ちとかどーでもええから、はよ起きて、はよ食べて、はよ学校と保育園に行って、はよお風呂入って寝て!
母は一緒に寝落ちしてしまい、夜中ハッ!と目覚め、吐きそうになりながら洗濯物を干す日々・・
訳あって、旦那は単身赴任。
完全なるワンオペ。

何がきつい、って・・
次男がダウン症だからどうのこうのより、長男が5年生になる直前(ちょうど長女を妊娠中で臨月)、「おれ、やっぱり中学受験しよっかなー」と言い出し、塾選びなどのフォローが急にのしかかってきた。

それに加えて、子供たちの祖母(私の母)が介護中の曾祖母が思いの外、現金を持っていたので認知症が進む前に使わなければ!と急遽実家を介護仕様に建て直すことになり・・
でもそれにはちょっと微妙に足りんか?となり、そしたらうちもお金を払うから、二世帯にして住まわせてもらお、と乗っかったはいいが、受験生、ダウン症3才、乳飲み子を抱えて、仕事や家事の上にハウスメーカーと打ち合わせやらなんやら、目が回るような日々。

結局、ダウン症次男のことだけを考えて毎日過ごすなんて限界がある。
赤ちゃんの時は〝ダウン症の顔〟て思われたらいややな、とかしょーもないことで悲嘆にくれていたけれど、結局は〝図太い〟日常生活に有無を言わさず引き戻されて、涙を流す暇なんてすぐになくなった。

そうこうしているうちにダウン症の次男もただの「可愛いうちの子」となる。
きょうだいたちにとってもそう。
すぐ慣れる。というか、家族全員、価値観が麻痺してきて、ダウン症次男を「可愛い、面白い」と、とにかく可愛がる。

親が言うのも何だが・・ダウン症次男は、学校でも何故か(一部のコアな層に)人気があり、他学年のお友達にもよく声をかけてもらっている。それをいつも目の当たりにしている、妹が嫉妬するほど。
ダウン症の兄を恥ずかしく思っている様子は全くない。

他の家庭でもよく聞くのが、何かと可愛がられたり面白がられて注目されるダウン症児よりも、そのきょうだい児の方の気持ちのケアをしてあげないと、ということ。「○○ちゃん(ダウン症児)ばっかり・・」となりがちだ。

親としては平等に扱っているつもりだが、ついつい、ダウン症ママ友とのランチでも話題は・・・
最初はだいたいきょうだい関係の愚痴・・思春期のきょうだいの態度に腹が立つ、全然勉強しない、なんぼほど塾代と学費かかるねん、すぐ「お金ちょうだい、あれ買って、これ買って」って言ってくる、小学生女子の人間関係めっちゃややこしい・・・
それに比べて、ダウン症の○○ちゃんはええ子やわ~、お友達と揉めることもないし、進路もだいたい決まってるからあきらめついてるし(言い方!笑)、公立やからお金もかからんし、なんせ可愛い。

結局、ややこしい(手もお金もかかる)のは健常のきょうだいやな。
と、締めくくることが多い。(もちろん半分冗談ですよ。)

気持ち的にはきょうだいを平等に可愛がっているつもりでも、ダウン症児は無条件に可愛いがり、健常のきょうだいに対しては、可愛いからこそ将来のことを思うとつい口うるさく言ってしまうのである。

もちろん、ダウン症の子は病院やら訓練やらで気を配ってあげないといけない場面も多い。手がかかる部分も多々ある。
しかし、私を含む周りのダウン症のママ友の多くは、ダウン症である限り多少の能力の差があれども進路にそれほど違いはないことを受け入れているので、必死に勉強させないと!という気持ちがない。(中にはいますよ、熱心な親御さんも。)
それは言葉通りのあきらめとはまた違う。
「こういう人生もあり」とすっかり受け入れられている、という感じ。

また、ダウン症児は生まれてすぐに、病院、福祉機関などの専門家とつながるため、何か心配事があれば相談できる人が複数いて、各所で「お母さん、本当にがんばっておられます。本人もしっかり成長していますよ。」などと励ましてもらえるので、気分が良い。
家族だけでなく、学校の先生方や福祉関係の人と「大変だけれど可愛い我が子の成長」を共有できていることで、かなり安心感がある。

ダウン症の子供は話すことが難しい子が多いにも関わらず、何故かコミュニケーション能力が高く、その場の空気を読める。
「いやだ!」と意固地になることがあって、周りは振り回されても、最終的にはしれっと家族の中心にいて、学校でも何故か我が物顔だ。

ダウン症育児と健常児の育児、結局どっちが楽でどっちが大変などとは言えないが、お互いが良いように作用している、と私は感じている。

ダウン症児はきょうだいたちの日常の行動を見て様々なことを学ぶし、親ときょうだいたちはダウン症次男との暮らしから新しい価値観を得られる。

私の場合は、ダウン症次男のオモロイ言動で毎日笑っていると、だいたいのことは大したことない、と思えてくる。
昔のくよくよ悩む癖はどこへ行ったんだ。年齢を重ねることと相まって、かなり図太くなった。図太くなると、人生は楽だ。

長男は進路についてもダウン症次男からかなり影響を受けた。その話は次回に・・。






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