ピットインできるところを持っているか?
愛とは何か?
親とはどう在るとよいんだろうか?
理屈と実践を通して考える
自分の親にはたくさん不満だったし恨みもあった
自分の子どもらには至らなくてごめんよと思いつつ
進化していくと決めて踏ん張っている
人と話していて
良い言葉を見つけた
「ピットインできるところを持っているかどうか」
これが重要なのじゃないか?と思う
ピットとは所謂ドックピットや
サーキットのピットのイメージだ
ちょっと調子が変かな?というとき
迷わず頼れるところという意味だ
子どもらにとっては
私がピットであれば良いのだと思う
私自身はセルフメンテナンスと
それでは足りないときの手だてを複数持っておけばいいのだろう
ピットを持っていれば
安心して過ごせるし
チャレンジもきっとできる
納得してチャレンジを止めるコトだって可能だろう
親がピットをしていても
子どもはいずれ育って自分独自のピットを持っていくだろう
ピットインできるところを持っているか?
子どもらにとってちゃんとピットに成れているか?
良い視点が見つかったなあ
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