才能とやりたいことが噛み合わない話
講師業を天職だと思っている旨については以前も書いた。
生徒のためであれば大抵のことは苦にならないし、相性はあるが生徒もおおむね信頼を示してくれる。
こんなにやりがいのある仕事はないと思うのだが、不可解なことに、私はこの仕事だけでは満足できない。
教育という仕事に適性があると思うし、事実やりがいと楽しさを感じ、それなりの成果を出すことができる。
世間にも胸を張れる仕事であるし、スキルとやり方次第で充分な収入を得ることもできる。
人生をかけるに足る仕事だと思う一方で、しかし私は教育業に専念することができない。
専念しようとしたこともあったが、どうしても無理だった。
話が遡るが、私は小学生の頃から小説を書くのが好きだった。
中学生になる頃にはプロの作家になりたいと思っていたし、小説を書きたいという一念だけで逆境に折れずに生きていたところがあった。
(いずれ気が向いたら詳細を書くかもしれないが、精神的に追い詰められて一家心中を目論んでいた時期があった。それを実行に移さずに済んだのは、死んでしまったら小説が書けなくなるからというだけの理由だった)
二次創作で同人誌を出したり、新人賞に応募したり、ずいぶん長いこと書き続けていたが、社会人になり徐々に心身を悪くして、体力的にも書けない時間が多くなった。
それと同時に、書きたいことを書き尽くしたような感覚があったし、才能の限界のようなものも感じ始めていた。
また、講師業を始めたこともあって、何年か小説を趣味と割り切って生きようと思っていた期間もあったのだが、徐々に耐えられなくなっていった。
何がどう耐え難かったかというと、生きていることが虚しくてならなかったのである。
何かにつけ、自分はこんなことのために生まれてきたんじゃないと感じたし、ただ毎日ごく平穏に生きていること自体が耐え難かった。
マンガでも、映画でも、音楽でも、舞台でも、美しいものや面白いもの、素晴らしいものに触れる度に、自分がそれらを享受する側であり、提供する側でないことが悔しかった。
その内に、都度涙が止まらなくなり難儀するほどになった。
こればかりは原因を家庭環境のせいにも、発達障害のせいにもできなかったし、ただしみじみと普通に生きることに向いていないのだと思うしかなかった。
娯楽の多いこの国で、それらを目にする度にいちいち号泣しているようでは生活に差し障る。
とうとう諦めて、何かしらの作り手側に回る道を検討しようと思い直したのが昨年のことであった。
面白いことに、「趣味は趣味だ」と割り切ることをやめたとたん、虚しさも悔しさもすっかり消えてしまった。
縁あって、その翌月から興行施設のアルバイトを始めた。
時間は有限であるから、当然その分教育業に割ける時間は減ってしまうし、施設スタッフの時給が非常勤講師より高いわけがない。
常識的に考えて馬鹿のやることだとわかってはいたが、悔し涙に暮れる生活よりは馬鹿になる方がましだった。
とにかく、自分は提供される側ではなくする側の人間でなければ気が済まないらしいということは悟ったが、だからといって自分に何が提供できるのかは、未だ判然としていない。
向き不向きで言えば、創作やエンタメに関わるよりも講師業の方がよっぽど向いていると思う。
持ち合わせた才能を活かせれば人間はそれで満足するものかと思っていたが、どうやら違うらしいので、これは神の手違いによる深刻なバグではないかと思わずにはいられない。
小説は今でも多少書いてはいるが、昔のように書くことそのものに意義を感じることはできないし、書いて楽しいものはあるがどうしても書きたいというものは見当たらない。
むしろ、何かしらの注文を受けて文章を書く方が向いているのではないかと思いつつある。
まさか今になってこんな青少年のような模索をすることになろうとは思っていなかったが、これも生き直しの一環かと思うと納得する気持ちもあるのである。