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写真(部)とは、山に登るようなもの

思うに、写真(部)とは山に登るようなものではないかと。

どんな山に登るのか。富士山?エベレスト?それとも高尾山?

登るとしても、どこまで登るのか。頂上?八合目?三合目の展望台?

コンテストで「高み」を目指すのもいいでしょう。全国の頂点を目指すのも。外部講師をバンバン招いて写真やアートのなんたるかを学ぶのも、地域の写真を撮って発表するのも、写真展を開くのも、すべて高さも形状も難易度も異なる山のようなもの。どんな山を選び、どこまで登るか。どんな風に登るのか。その選択はそれぞれの写真部、そして部員たちに任されていていいはずです。

失礼ながら、ときどき「そんなにオレがここまでの部活にしたんだぜ!と言いたいのかなあ」と思ってしまう顧問の先生に出会いますが、その度に私は「すごいのは生徒であって、先生(あなた)じゃないですよ」「あなたたちと同じ山に、私たちも登らなくてはならない決まりでもあるのですか?」と問いかけたくなるのです。

これは以前にも様々なところで書いたことですが。

「写真甲子園2008」に監督として参加した際にお会いしたある代表校の顧問の先生がおっしゃっていたことが、今でも忘れられません。高校写真部の目標とはそれこそ写真甲子園のような全国大会に出ることであり、写真がうまくなることだと信じて疑わなかった私。「どうすれば(先生の学校のように)写真がうまくなりますか?どんな指導をされていますか?」と尋ねた私に、その先生は少し考えてこう言いました。

「私は、生徒が最終的に写真がうまくならなくてもいいと思っているんです。大事なのは『うまくなろうとすること』だと思います」

正直言ってその場ではピンときませんでした。しかし、今ではその意味がとてもよくわかります。当時の私には1つの山しか見えていなかったのです。

肩の力を抜いて写真を楽しむことって、簡単なようでムズカシイ。ついつい「賞を取らなくちゃ」「あの学校に勝たなくちゃ」などと余計なことを考えてしまう。そこから自由になるきっかけをいただいたのは、まさにあの一言だったと思います。そして不思議なもので、いざ肩の力が抜けるとあれほど力を入れても取れなかった「賞」が、まるでご褒美のようにもらえたりするのですから、皮肉なものです。

とにかく、皆が同じ山に、同じ登り方をする必要なんかないんです。

高校写真部顧問の先生方は、もう少しそのことに思いをいたしてもいいのではないでしょうか。



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