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イマドキの高校写真部(その3)

今回は合宿とか「写真甲子園」の話をしようと思っていたのですが、その辺は次回以降に回すとして、あえてこの話題を。それは・・・

「高校生らしい写真」の呪縛

についてです。例えば審査員が入選の理由として「高校生らしい写真ですね~」などと、誉め言葉として挙げていたりするのですが…。でも、ちょっと待った。一体全体、「高校生らしい写真」ってナニ??

いや、ある程度の推測はできます。被写体が高校生だったり、部活の様子だったり、学校生活(学校行事)だったり。あるいは、明るくて元気な感じの写真だったり。逆に「思春期の憂鬱」だったり。要するに「青春」ぽい感じ?

うん。わからないでもありません。カテゴリー分けして物事を理解しようとするのは人の常ですから、否定はしません。が、今一つ納得しがたいのが、この写真は「高校生らしい」からいい写真で、この写真はちょっと大人びてるから、渋すぎるからイマイチな写真だ(実際に、ある審査員に言われたことがあります)とか、誰に決める権利があるんですか?という点です。

たしかに、高校で写真部に入部する生徒は写真に関する知識や技術の蓄積がほとんどない(注・通常、中学校には写真部がないので)ですから、なまじ「学んでしまった」(?)私のような大人よりもセオリーにとらわれない自由な写真が撮れるということはあるかもしれません。また、現役の高校生が身近な高校生活を被写体にしやすいのはいわば当然ですから、そういう写真が多くなることも否定できません。でも、お年を召したアマチュアカメラマンの方でも時々「ええっ、そう来ますか!?」という驚くほど斬新な写真を撮る方もいらっしゃいますので、一概に年齢の問題とも言い切れないと思います。

同じように、では「女らしい写真」や「男らしい写真」ってのはあるんでしょうか?え?「色調がふわっとしてて露出が明るめで…」みたいな、ひところ流行った「ガーリー」(…これもよくわかりませんが)なインスタ写真とか?やっぱりあるんじゃないの?とお感じの方もいらっしゃるでしょうね。

実は「写真に男女や年齢による違いはあるのか。あるとしたら何か」という研究は大学などで行われてきてはいます。が、仮に何らかの定義づけが可能であったとしても、「〇〇らしい」といったざっくりすぎるレッテル貼りをした時点で「その人らしさ」を否定することになるのでは?と思うのです。

だから、顧問として部員たちの写真を見るときには、努めてニュートラルに。「高校生らしい写真」などと決めつけられたイメージに自らはまり込むような写真ではなく、自由に。見る側も、そうしたレッテル貼りなんかせずに。お互いにそうありたいものだなあ、と思っているのですが、さて。


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