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123天文台通りの下町翁 雑記帳 長坂道子・著「難民と生きる」を読んで考える日本に暮らす私の道

混雑した場でベビーカーを押す女性を「迷惑」と捉える社会=日本と、見ず知らずの難民を自宅に迎え入れることを厭わない社会=ドイツ、この大きな違いは何なのか?そんな素朴な疑問を考えるため、欧州在住の長い著者、長坂さんが2015年以降いっきょに中東での戦火から逃れて欧州に押し寄せた難民の大波などに、ドイツの市民が個々にどう応じ、何を考えたのか、具体的な聴き取りを紹介した一冊。連邦制をとるドイツゆえ、州や地域によって難民受け入れの制度が違ったり、個人個人の難民に対する思いや関わりかたも決して一律ではなく、受け入れ方や支援の仕方も濃淡様々で、躊躇も抱えながらでもあることが9編のケースから肉声をもって知ることができる。

所々に、中東、西アジア、アフリカの戦火、紛争、迫害などから命からがらドイツにたどり着いた難民と、受け入れたドイツ人市民の写真がはさまれていて、それぞれのケースがより一層身近に感じられる。メルケル元首相の難民を受け入れようと国民に求めていた肝の座った姿勢、ドイツの歴史的、社会的な背景はあるにしろ、1年で数十万人の難民を迎え入れたことは、それに反対する勢力や複雑な思いを抱く人々も多い一方で並大抵のことではない。戦前、戦中の植民地政策や加害の責任、強制的に労働力を朝鮮半島、中国大陸に求めた歴史をスルー、改ざんしたりで認めない一方で、実質は外国人を様々な労働の現場で使わないと立ち行かないのに"足蹴"にしている日本の現状と対比してみると、何が決定的に違うのだろうか?との自問に至る。

この本から導き出される自問のかずかず。海外から来て働いている人たちが具体的にどのように暮らし、何を考えて生活しているのか? 隣人として知ろうとしているだろうか?歴史的な背景から在日本の外国籍の住民として、同じ社会に根付いて暮らす朝鮮半島や中国大陸、台湾ルーツの人々、日系南米移民ルーツの人々などの個人個人の日常を知っているだろうか?大きな問題化している技能実習制度や入管での人の命まで奪う虐待や長期勾留などを他人事にして、何食わぬ顔で日々に埋没してよいのだろうか?

ドイツで様々な形で難民と関わろうとしている人たちだって、躊躇や恐怖心がないわけではなかったが、一旦踏み出して、難民と呼ばれて命からがらたどり着いた人たちと関わりを持ち、人を知ることで固定観念が氷解していく様が描かれている。住まいを提供できる人もいれば、複雑な難民申請や困りごとの解決のために役所の窓口に付き添ってサポートする人、ドイツ語の学習支援に力を貸す人がいたりと、関わりかたは様々だ。各人が無理なくできることをしているのだ。

外国人は何をするかわからないぞ、社会を乗っ取られるぞ、実際に外国籍の人たちがどのように暮らしているのかを知らずして、そういった恐怖心を煽る声に怯んでしまう今の日本の状況から、少しは普通の人権意識で国を開くためには、まずは、隗より始めよ、自分から具体的にできることを探してみよう、そんな思いに至らせてくれた本著である!


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