俺は横浜の三浦大輔だから
26年前、西武球場で行われた日本シリーズ第四戦に足を運んだ。霧の様なもやがかかり、冷たい小雨が降っていたあの日。
鈴木尚典選手の同点HRに歓喜し、6回にまた突き放された2点ビハインドの9回表、ツーアウトながら満塁のチャンスを作ったが、佐伯貴弘選手が空振り三振。
それで2勝2敗のタイになり、やはり今年も厳しいかと大きな溜息をついた夜。
そんな日本シリーズで学んだ事は、決して諦めない事。
翌日17-5で大勝し勢いそのままに連勝、権藤監督を胴上げした。そう言えば、あの時も第六戦で決めたんだったけ。
それ以後は関内はもちろん、横須賀、戸田、浦和、鎌ヶ谷、よみうりランドにますます足繁く通う様になり、その時購入した湘南シーレックスのTシャツが何枚もタンスに眠っている。体調を崩し、二軍に落ちていた三浦大輔投手と会話をしたのも、あの頃が初めてだった。
山下大輔監督と田代富雄代行監督の際は、どんなに負け続けようとも、メガホンを叩き応援歌に大声を上げた。その時に頂いたサインボールは、いまだリビングのケースに並んでいる。
あれからもう26年、あの時の優勝メンバー三人衆が首脳陣に名を連ね、宜野湾キャンプで腕組みをしながらブルペンでの仕上がり具合を確認し、バッティングゲージの後ろで打球を目で追い、三塁側ファールゾーンで走塁を教える。
鳴物入りで入団した度会隆輝選手に注目が集まり、大半のファンが彼が移動する度にそちらに動くスタンドで、自分は三人衆ばかりを見ていた。
琢朗はニコリともせずに鬼の形相でトンボレーキを持ち、山本祐大、梶原昂希、石上泰輝選手にスライディングとリードのノウハウを伝える。
尚典はあちらこちらに移動しながら、あらゆる選手のケージバッティング、トスバッティングに目を配る。
大輔はピッチングコーチやスタッフと会話しながら、東、ウェンデルケン、ケイ投手の球筋に目を凝らす。
生粋と外様、その線引きには不可解さと抵抗感を覚えるが、入団当初からその一挙手一投足を見続けてきた三人には、どうしても殊のほか肩入れをする。
7月20日から8月2日までの9連敗、ここぞとばかりに大手マスメディアは叩き始め、『ちぐはぐ』や『夏の疲れ』、『勢いもここまで』の文字を書き並べていく。次期監督は誰かの憶測記事さえ、見受けられる様になる。
首位と最大8.5ゲーム差をつけられ、眉間に皺が寄る日々が続いた8月10日。
タイラー・オースティン選手が2ランHRを放ち、松尾汐恩選手がマルチ安打でプロ初打点を挙げ、19安打14-4で大勝したあの試合がエポックメイキングだったと思う。
残り50試合、チームの組織力が高まりベテラン組と若手組がガッチリと組み合った、勝利を目指す心意気を強く感じる内容だった。
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大輔、尚典、琢朗、大きな仕事を成し遂げましたね。
横浜の日本シリーズ優勝、日本一なんて生きている間にもう二度と見れないと思う日が沢山ありました。
おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
これで'98年優勝組の気概は脈々と繋がれていくこととなり、「あの頃の横浜は…」と若い奴に向かって語れる時間を延命出来るようになり。
そして、来年もこの気概を。
(写真は全て筆者撮影)